日本の貧困論は薄い

昨日の市町村研修会分科会、「貧困化と社会保障政策」の講師は、                     2011_0524_091324-PAP_0218

尾藤廣喜(びとう・ひろき)弁護士(京都・鴨川事務所)で、

全国生活保護問題対策全国会議代表幹事で、

大学卒業後数年厚生省で生活保護を担当しておられたことのある方。

生活保護を中心に、これから社会保障をどうするのかを語られました。

貧困率からみた日本として

OECD発表の2009年の子どもの貧困率は14.2%、ひとり親世帯では50%台。

ふたり親でふたり働いても貧困率が解消しないのは日本とトルコだけ。

しかも日本はOECD諸国中唯一、税制や施策による所得の再分配後に貧困率が悪化しています。

日本は社会的費用(医療、教育、雇用保険、年金など)の国・自治体の負担少なく、個人負担が多い。

みせかけの収入が貧困を隠している。生活が苦しいと思いつつも貧困とは認識しない。

「一週間に一度も外食していないから」「一か月に一度も旅行していないから」私は貧しいと意識する、

ヨーロッパの国々の人たちと比べ、貧困論がうすい。

そして社会保障もうすい。最後のセーフティネット、生活保護も薄くて穴だらけ。

何事かあれば一気に滑り落ちる「滑り台社会」。

もっと雇用保障や年金制度、医療保険の改善などにより、多重的多層的な保障が必要。

ひとつひとつの事例を大切に制度を最大活用しつつ前進させること、

それとともに社会保障の理念を深め発展させることが重要と語られました。

「その社会の質は、もっとも弱き人がどう取り扱われるかによって決定される」(アンティエ・フォルマー前ドイツ連邦議会副議長)

貧困は私たちの社会の質の問題、どんな社会に向かっていくのかという問題です。

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