「いしゃ先生」-志田周子さんの生涯

いしゃ先生23日、鳥取県保険医協会の催された映画「いしゃ先生」を観ました。いくつもの壁を越えて無医村の頼られる「いしゃ先生」になっていった女性の話しです。

受診を躊躇っての手おくれの死や、お産による実母の死など、並みの壁ではありません。ふるさとの無医村で、死亡したときだけ近隣の町までリヤカーで峠を越え死亡診断書を書いてもらうような村で、医療を根付かせた実在の女医・志田周子(しだ・ちかこ)さんの話しです。
「お金がなくても僻地でも、みんなが等しく医療を受けられるようになること」を願った周子さんは、国民皆保険が始まった年の翌年、昭和37年に食道癌で51歳で亡くなりました。
しかし昭和36年に始まった国民健康保険は、いま国の政策で自己負担の重いものになり、お金がなければ受診できなくなっています。

医療生協の調べでは、昨年受診を抑制して手おくれとなって亡くなった方が、鳥取県内で少なくとも4人あるといいます。
頂いた資料袋の中に、受取人(鳥取県保険医協会)払いの「医療・介護の負担増の中止を求める請願署名」の葉書が10枚入れられてありました。この保険医協会の思いに応え集めなくっちゃいけません。2017_0423_221841-IMG_8461

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