「原稿に落ちてくる大粒の雨が沖縄のママたちの涙のように思えて・・・」29日米子の西郷南海子さんのスピーチ

西郷南海子さんの、昨日の合同演説会でのお里帰りスピーチです。大好きなふるさとを思う気持ちと戦争法に反対して「ママの会」として立ち上がったことが自然に繋がっています。素晴らしい訴えでした。

西郷南海子さんのfacebookへの投稿を引用させてもらいました。

西郷 南海子さんの写真
わたしはスピーチのときは、冷静にしゃべるということを心がけています。でも今回は、原稿に落ちてくる大粒の雨が、沖縄のママたちの涙のように思えてきてしまいました。10分の枠で、長い文章になりましたが、わたしにとっての歴史、そしてこれからを生きていくということを言葉にしました。
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みなさん、こんにちは。安保関連法案に反対するママの会・西郷と申します。わたしは、京都で2歳5歳8歳の子どもたちと暮らしています。今日は、この島根・鳥取の野党統一候補「福島ひろひこ」さんを応援するために、飛行機で飛んできました。

実はわたしは、ここ米子市で生まれました。子どもの頃のわたしにとっては「夏休み=米子」。そんなわたしの大好きな米子から、市民の声を形にしようと汗をかく人が参議院選挙に立候補すると聞いたので、大慌てで飛行機のチケットを取りました。

わたしが去年たった一人で呼びかけた「ママの会」は、「だれの子どももころさせない」を合言葉に、全国47都道府県に広がりました。ママたちが、これだけ一気に動いてつながったのには、理由があります。ひとことで言うなら、安倍政権が許せないからです。安倍政権は、自分たちが見たいものを見るためなら、どんなパフォーマンスでもやってのける。その一方で、「命の現場」から声を上げる人のことは、バッサリと切って捨てる。これがいまの安倍政権だと思います。

わたしには3人の子どもがいますが、同じ母親から生まれた子どもでも、持って生まれた顔も個性も違います。自分が産んだと言うのもおこがましく感じるくらい、子どもたちは「かけがえのない」存在です。どんなにお金を出しても、二度と手に入らない「宝物」なのです。これは、日本のお母さんにとっても、内戦中のシリアのお母さんにとっても、南スーダンのお母さんにとっても同じです。

わたしが小さかったとき、米子のおばあちゃんは戦時中のことを話してくれました。いま80歳になるおばあちゃんは、もともとは、ここからすぐ近く安来のお醤油屋さんの娘でした。工場の両側に階段があって、登ったり降りたりと、かくれんぼにぴったりだったそうです。何人もの職人さんと一緒に生活し、一生懸命お醤油を作っていたそうです。そんな工場ですが、戦争の終わりに、みんなの手でつぶすことになりました。万が一、空襲にあったときに、建物が燃え広がらないようにと、前もって建物をつぶしておくことが命じられたのです。工場の柱に縄をかけて、職人さんも近所の人も一緒にひっぱって、工場をつぶし倒したそうです。

自分にとって大切な場所を、自分たちで壊し、それを最後まで見届けるというのは、どんな気持ちだったのでしょう。わたしは子ども心に、もしそのお醤油工場が残っていたのなら「わたしもかくれんぼができたのに!」思っていました。それも、あともう少し待てば敗戦だったのに。…大人になったいま、この話を思い出して、あらためて考えました。まさに戦争とは、自分たちの宝物を、自分たちの手でつぶすことなのだと。

いま政府は、沖縄の普天間(ふてんま)にある米軍基地を、手狭になったからという理由で、次の場所に移そうとしています。その移設先として選ばれたのが、辺野古(へのこ)という美しい珊瑚礁でした。ここには、天然記念物のジュゴンだけでなく、まだ確認もできていない新種の生き物がいると言われています。…人間よりも前からいる生き物を「新種」と呼ぶのは、おこがましいかもしれません。ほかにも、琉球王朝時代の遺跡が眠っていて、埋蔵物の調査が行われています。

わたしは、この2月に10年ぶりに辺野古に行ってきました。そこでの説明を聞いて驚いたことがあります。沖縄・辺野古の海が、こうして「宝物」のようなあり方を保つことができたのは、71年前の沖縄戦を、奇跡的にくぐり抜けることができたからなのだそうです。

71年前のちょうど今頃、沖縄には米軍が上陸しました。「鉄の暴風」と呼ばれ、地形が変わってしまうほどの爆弾が打ち込まれました。それは日本で唯一、住民が巻き込まれた「地上戦」でした。避難の足でまといになるという理由で、たくさんの赤ちゃんが殺されました。子どもたち同士が、手榴弾を爆発させて命を絶ちました。その遺体の多くが、まだ森の中に眠っています。そして、生き残ったおじいさんおばあさんたちは、いまもなお地上戦の記憶に苦しめられています。

そういった土地で、ついこないだも、新たな犠牲者が出てしまいました。二十歳の女性が、夜に散歩に行っただけなのに、帰ってくることはなく、白骨遺体となって見つかりました。容疑者は、米軍基地に務める元海兵隊員でした。米軍基地の中で行われているのは、殺人の訓練です。自分も含めて、人間を人間と思わなくなることが、兵士としての第一歩です。そうして、沖縄からはベトナムにもイラクにも、多くの兵士が旅立って行きました。

沖縄の人々は「もう我慢できない!」と叫んでいます。沖縄戦で血が流され、ベトナム戦争で血が流された土地に、新たな犠牲者を横たえることは、もうやめにしたいのです。わたしは思います。「本土」のわたしたちのいい加減な「知ったかぶり」こそが、沖縄の人々を傷つけているのだと。「沖縄は米軍基地がないとやっていけないんでしょ?」などという「上から目線」で物事を考えるのはもうおしまいにしましょう。沖縄の人々にとっての宝物、辺野古の海は、わたしたちにとっての宝物でもあるはずです。それは、米子の人にとって、キラキラとした皆生(かいけ)の海が宝物であるのと、一緒です。

わたしは、次の選挙は、ひとりひとりの「生き方」が試される選挙だと思っています。「苦しい、もう我慢ができない!」と声を絞り出している人に対して、一緒に声を上げるのか、それとも見て見ぬふりをするのか。次の選挙は、この分かれ目にあります。自分の生き方を棚に上げて、物事を「上から目線」だけで考えるのは、おしまいにしましょう。

わたしたちの宝物を、わたしたちの手でつぶすようなことは、もう繰り返しません!次の選挙は、「命の現場」からの声を形にしてくれる人を、国会へ送り込む大チャンスです。ひとりひとりの宝物を、もっともっと輝かせる世の中を作るために、なんとしてでも横に、横に、手を取り合いましょう!

★写真は山内芳彦さんの撮影されたものです。

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