さてどれにするのか。全体の構成・デザインなどはこれからです。
山田兼三さんを囲む会が、石橋ブロックの2つの会場でありました。
午前は駅前のTさん宅で。
Tさんのお友達や近所の方も参加して頂きました。
午後は葭津の石橋事務所で。
近所や後援会の方も来られて事務所は一杯になりました。
集団的自衛権の行使容認へと動きだした安倍政権の暴走、
地方選挙、米子市議選でも勝ってくい止めようという話しに始まり、
旧南光町の住民本位の町政のこと、
80歳まで自分の歯20本残す歯の健康運動―「8020運動」で厚労省から表彰を受け、
休耕田でひまわり畑をつくって農水省の表彰を受けたこと、
共産党町長のまちづくりを認められて宮中の園遊会に招かれたことなど、
反対ばかりで、実現する力がないといわれる共産党の、町づくりの成果が認められた話しを聞き、
笑ったり歓声あげながら納得。
葭津では最後は、地元の要求である、
「干拓虫」のこと、買い物難民のことで盛り上がりました。
山田兼三さんには、応援に来ていただく度に、とても勇気づけられます。
「干拓虫」被害に苦しむ住民でつくられた「『干拓虫』被害の調査と対策を求める会」(畠山美枝子・代表)が、
島大もと教授で、昆虫生態学が専門の星川和夫さんに、「干拓虫」の話しを聞きました。
前段の昆虫の歴史や、北海道夕張の故郷の川の石を割るとアンモナイトの化石が現れた、という先生の少年時代のお話も面白く、
また「干拓虫」についても、参加者は初めて聞く話しでした。
「干拓虫」といわれるイソヌカカ、そして河崎で発見されたトクナガクロヌカカかと思われるヌカカ、
少なくとも2種以上の吸血性のヌカカがいるというのです。
1959年に鳥大医学部の先生が米子の「干拓虫」=イソヌカカについて、論文を発表されており、
米子は、なんとイソヌカカの生息のメッカ?
このトクナガクロヌカカについては、その生態はまだ良く解らないとのこと。
だいたいが海水浴場に発生するイソヌカカは全国に見られるが、
トクナガクロヌカカ―こんな内陸部に発生する、日中に活動するヌカカは、他には例がないとのことでした。
「干拓虫」に刺されると血が出るまでかきむしる程のかゆみが、1か月も続くといい、
星川先生の弁では、「ブヨ、あしなが蜂、まる蜂などよりも被害が大、何しろ痒みがしつこく酷い」とのこと。
刺された経験者はそうそう、と深く納得。
そして被害の実例が報告され、旗ヶ崎あたりから境港まで広く分布することが判りました。
米子市には一刻も早く、このヌカカに対策を取るために実態調査を始めてほしいと思います。
会では「干拓虫」の調査・対策を求める署名とともに、
「干拓虫」の被害がいつどこで発生したのか、情報や捕獲したサンプルも集めることとしました。
「干拓虫」の調査・対策を求める署名、また調査にご協力頂ける方、ご連絡下さい。
格別のこともなく街頭宣伝と訪問の一日。
夕方訪れた友人宅は早めの食事が終わった様子。
お皿を洗う音がしていました。
「女の子多くていいよね」といったら、
「手伝いだけなの。進んではやってくれないの。母の日プレゼントより、家事のお休み一日貰う方がいいのに。」
という会話から、子どもの結婚問題、家事の中でも料理のこと、子どもの独立と経済力のこと、
私たちの年代は親の介護しながら、働いて、子ども世帯に仕送り、っていうケース多いよね。
今若い人は結婚もなかなか。結婚しても親と一緒じゃなければ生活出来ないよね。
などなど、そして「だから頑張ってね」と見送られました。
★写真は「こんな風景が米子に」③紅いダルマ型郵便ポスト。まだ残ってた。彦名公民館前で。