雪などの不可抗力の条件が重なり、元旦の行動がなくなり、
ゆっくりしたお正月を過ごしています。
窓の外、ちらちら舞う粉雪をながめつつ、ようやく年賀状造り。
もうすぐあなたのところへお届けするかも。
いつも元旦には間に合わず申し訳ありません。
雪などの不可抗力の条件が重なり、元旦の行動がなくなり、
ゆっくりしたお正月を過ごしています。
窓の外、ちらちら舞う粉雪をながめつつ、ようやく年賀状造り。
もうすぐあなたのところへお届けするかも。
いつも元旦には間に合わず申し訳ありません。
紅白を見ながら、blog書いています。
議会終了後もなにかと慌ただしく、
「美しい中海を守る住民会議」で、大橋川拡幅事業をストップさせるために、
大海崎堤と森山堤の200m以上開削を実現するために話し合ったり、
民営化を急ぐ様子の米子市「保育のあり方検討会」の傍聴をしたり、
また来年開かれる日本共産党党大会に向けて、
この地区の大会を開いたり、
また来年の市議選、参議院選挙を勝つために、「しんぶん赤旗」を増やしたり、
2月最初の日曜が投票の、境港市議選の応援に出掛けたりと、
バタバタと暮れた09年でした。この1年、
私にとっては、素晴らしい1年になりました。
来年は、もっと力をつけて、新しい政治の道を切り開くために頑張ります。
ありがとうございました。
来年も、今年以上によろしくお願いします。
よい年を迎えられますように。
12月議会が閉会しました。
大橋川拡幅問題、そして美保基地の米軍使用施設化問題と、大揺れ議会でしたが、
終わって喜色満面の野坂市長の顔をみると、
この人には、米子の未来に対しての不安や懸念というものが、
何もないのだろうかと、溜息がでます。
この12月議会、新政権に対する期待と懸念から、
また暮らし難い世の中を反映して、
16もの陳情がさまざまな団体から上がって来ていましたが、
不採択となったものも多数。
うち6つの採択を求めて、共産党市議団の松本松子議員と私が反対討論に立ちました。
所得税法56条については、陳情者の民商婦人部の3人が傍聴にみえました。
わたしの討論はこの後に掲載するようにします。(「2010年度年金の減額改定を行わないことを求める陳情」、「消費税によらない最低保障年金制度の創設を求める陳情」、「中学校卒業まで子どもの医療費助成の拡充を求める意見書提出を求める陳情」)
松本議員は、「校旗高齢者医療制度の即時廃止に関する陳情」、「EPA、FTA推進路線の見直しを求め、日米FTAの推進に反対する陳情」、「『所得税法56条の廃止』を求める意見書提出を求める陳情」の採択を求め討論しました。
今日討論に立ったのは、私たち二人のみでした。
「わたしたちの望む保育と民営化を考える会」の主催で、
帝京大教授(以前は鳥大にもおられた)村山祐一氏の講演会を開きました。
米子市は行財政改革の流れの中で、保育園の民営化を急いでいます。
この民営化を検討する市の審議会「保育のあり方検討会」で、
保育の本質的な問題、よい保育とはなにか、どうしたら望ましい保育にしていけるのか、
などが、十分な検討をされないまま、
財政問題のみを理由として、民営化への具体的な検討、
当面何園を、どの園を民営化するなどの段階に移ろうとしており、
心配の声が、保育士さんや保護者のみならず、たくさん上がっています。
その中での、緊急な取り組みでした。
村山先生は、民営化の流れの問題点と、今保育が重大な曲がり角であることを、
大きな身振りで熱心に語られました。
「地方分権」は国の責任放棄、規制緩和は企業参入をやりやすくすること。地方の首長がやりたい放題にしたいと、やりやすいようにしたいという思惑あること。
新制度は中央集権とし、地方の独自の取り組みをつぶすもの。(ほとんどの自治体は国の最低基準より手厚い。なぜならS23年のなにもなかった時代に出来た基準は最低限で、これを越え水準をあげることと、法で義務づけているから。)
新制度では、国から運営費として企業に下りたお金を、企業が好きに使える。
最低基準を緩和すると、国庫負担金の運営費が減少する、そうなれば、保育料が上がる可能性が大きい。(介護保険料が上がっていったように。)
公立保育園がなくなると、自治体は保育園の子育てのノウハウを積み上げられなくなる。
などなど、もっと聞きたいと思うお話が、短い時間内にぎっしりと。
村山先生は、この12月22日(火)のNHK「生活ほっとモーニング」に出演。
保育園の面積の規制緩和の実験です。
一部屋での食べる・遊ぶ・寝るは、保育士さんが物の移動・片付けに時間を取らるそう。
アナウンサー氏が、「満員電車に一日暮らすようなもの」と思わず言ったとか。
この番組、必見ですね。朝8時35分からだそうです。
この国や街のあり方について、子どもをどう育てるのか、どんな社会にしたいのか、
語りながら、みんなの問題に広げていきましょう。
「中海問題等調査特別委員会」から案内があり、
雪の降る寒い朝でしたが、19日(土)の9時から、
中海の本庄水域湖岸で、現地見学。
異常発生している(?)というオゴノリの様子を見に行きました。
この日の先生は中海漁協の漁師、石倉さんです。
まず上宇部尾地区で、湖岸に流れ着き、そのまま水中でヘドロと化しているオゴノリ。
水中から鋤簾ですくい上げてもらうと、もうヘドロの硫化水素の匂い。
そして、本庄道の駅の近く野原地区で、今度は打ち上げられ乾燥したオゴノリ、
水から完全に上がり、乾燥したものは、海苔のいい香りです。
オゴノリの生は深い赤色。乾燥すると、鮮やかな赤となり、白く色あせて風化します。
このオゴノリは寒天の原材料となり、
かって1年に乾燥させたもの4000トン出荷したことがあったといいます。
また乾かしたものを畑にいれると、リンの利いたいい肥料となるそうです。
浜の農家は、かって藻場から引き上げた藻を堆肥にしていました。
この赤い色が乾いたオゴノリ。下の白いものは風化がしかけています。
オゴノリの上を踏んで、触ったり嗅いだりしてるメンバー。
水際はずぶずぶです。その辺りのオゴノリを裏還すと、水についてる部分はヘドロ化。
完全に打ち上がったものは、よい匂いの海苔です。
中浦水門撤去のあと、そして森山堤60m開削後、
浅瀬にアサリの発生しているのを発見した石倉さんは、
この秋そのアサリが全滅してるのを見て 、なぜなのかを追及しておられました。
そして繁茂し浅瀬に流れ着いたオゴノリ・数珠藻が、水面を覆うことにより、
アサリは呼吸ができなくなったのだろうと推測されています。
野原地区の打ち上げられたオゴノリの中には死んだアサリが混じっていました。
オゴノリも資源として活用し、アサリも生かすことに、
「なんとかならんもんかや、どげぞしましょいや」と、石倉さん。
この後、ゆがいたオゴノリを、ポン酢、ゴマドレッシングなどで試食。
歯触りシャキシャキ、かすかに磯の香りの美味しいものでした。
この現地見学はNPO法人自然再生センター(島根大学白潟サロン内)の主催、
鳥取・島根両県から、学者研究者、一般市民、議員など十数名の参加。
そして東京からの方もあったようです。
戦争体験を聞き、戦争や戦争をしない国にすることを考える、
「母親集会」(鳥取県西部地区母親大会連絡会)が開かれ、
やく30人の参加で、
従軍看護婦として中国でのの戦争体験を語る、安田要子さんと
兄を広島の原爆で失い、被爆直後のヒロシマをみた、安井みえ子さんの話を聞きました。
「毎朝毎朝何人と亡くなる兵隊さんを、アカシアの花の下の道を運んで山へ捨てに行った。」「麻酔もなく手術をし、痛がる兵士を軍医が怒鳴りつけた。」・・・安田さん。
「兄を捜して母と降り立った広島の光景を忘れることは出来ない。原爆の絵のとおり。」「夜ヒロシマの光景が頭の中をぐるぐる回り、法話を聞きながらでなければ、眠りにつけない。」「兄を失った母は毎日海に泣きにいって、なかなか帰らなかった。長生きするなよ。長生きほどわるいことはない。と、次々親族を失った母はいつも言っていた。」「美保基地の工事に、朝鮮の人、青服赤服の囚人が連れて来られて、竹で彼らを叩く”叩き屋”が雇われていた。」・・・安井さん、などなど。貴重な話しが次々でました。
やや若いお母さんや、うんと若い27才の女性から、「戦争は後々まで大きな傷を残すことを知った。もっと祖父母の話きいておくんだった。」「ヒロシマに修学旅行で行った息子と、もっと事前に話し込んで置くんだった」などの発言もありました。
黒一点の竹内利友さんから、「日本の戦争の歴史について、被害だけでなく、加害者であることも知って伝えねばならない」と言われ、関連して、
「北朝鮮の拉致がいいわけないが、日本はあれよりはるかに大規模に、韓国の人たちを強制連行してきた。」という話しも。
9条の会の世話人、大谷輝子さんから、千田夏光の「従軍慰安婦」のこと、9条の会のことなど話されました。
私は、今年亡くなった元ベトナム帰還兵のアレン・ネルソン氏の、
数年前に米子に来られた時の言葉、
「基地があることは、そこで人間性を捨て人を殺す訓練をしてるということ。休日に基地の外に遊びに出ても、その気持ちを基地に置いてでて行くわけでない。」を紹介し、
そして、近々の話題で、2年前から美保基地が米軍の使用基地となっていたと分かった。みんなで監視し、声を上げて常用の基地とならないようにしましょう、と訴えました。
右端の和服が私。
休みの日だからと。
ついでに今日のいでたちです。
綿織物の川越唐桟に、朱の羽織です。
アカシアの土に還らす兵運ぶ よし枝
ヒロシマに逝く兄を哭く母の海 よし枝
10日に中海問題等調査特別委員会の質疑があり、
2堤防開削なしに大橋川拡幅工事が進むことで、米子市民の被る被害をどう考えるか、
そして、大橋川改修そのものにも検討不十分、
事業者国土交通省の環境影響調査には、
第三者機関による調査をが必要と考えるがどうか等と、質問し頑張りましたが、
三鴨議員の、市長の松江市民の事を思えば躊躇なく同意という、その思いが、
もっと強く表明されないと確信100%で賛成できない、政治生命掛けてやるのか、
とうう質問に、とうとう政治生命までかけるという、市長。
あなたが政治生命かけるべきは、米子市民の安心安全でしょうと、すかさず、
言ったのですが、なにも胸に突き刺さらなかったようです。
11日の全員協議会に市当局の出してきた、
市長名の回答とそして副市長と県企画部長の確認書には、
「中海全域の水質に対し継続的な変化が確認されるなど、新たな水質改善策を講じる必要が生じた場合には、速やかに協議会において協議し,適切な対策に付いて検討する。」
という既に確認済みの一項に、「将来の新たな対策として大海崎堤防の開削も含まれることを双方確認すること」という一文を加えるだけという、
2堤防開削必要の姿勢の見えない、あいまいで拘束性の薄い内容で提示されました。
「2堤防開削が必要という米子の立場をはっきりと伝え、文書で確認しないと大海崎の
開削が難しくなる」、という私たちの声を押し切り、
「よく大海崎堤防という名を書き込ませた。評価する」という賛成派の声を後押しに、
この回答でよしとする市長・当局の姿勢は変わらず、
議長が参考までにと求めた賛成の挙手に、
21人(共産党と会派未来を除く全議員)が手を挙げました。
この結末に、私自身はがっかりするのかな、と思いきや、
「米子市民は決して許さないぞ」と、よーし!と鉢巻き締め直しました。
一般質問にたちました。
「大橋川拡幅事業」により水害の酷くなることを心配する、
米子市民の心配解決こそ、米子市長、あなたの責任ではないか、
とまず冒頭で聞いたのに、何の返答もなく、
追及質問で重ねてきくと、
拡幅同意の3条件が満たされたと、あいも変わらず国交省の言うとおりを繰り返す。
今日は他の議員の質問への答えでひと悶着あり、
わが会派の岡村議員の質問で、
美保基地が07年11月1日から米軍の使用基地になったこと、
昨年11月、米軍と自衛隊の合同訓練があるということで、
美保基地囲んで抗議行動をしました。
待てども姿みせず、私たちの帰った後で来たということが分かったのですが、
あの初めて行われた日米統合訓練の、その日だけの米軍使用だと思ってた。
しかし、その訓練に先立って07年11月1日、
自衛隊官報で、米軍使用基地となったと告示されていたのです。
市長や企画部長など一部の人間しか知らず、
市議会で事前協議もしなかったことで、議場騒然。
国のいうことには何もいわず従うその姿勢に、とうとう、岡村さんが、
「あんたは国の出先機関か。」と。いつも紳士的な岡村市議なのにね。
何も自分の中を潜らせず、振り払ってしまう野坂市長。
そんな姿勢に悩むこともなく、恥じることもなく。
米子市民は本当に不幸です。