市民劇場の例会で、無名塾公演「炎の人」を見た。
「炎の人」は画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの生涯を描いたもの。
ゴッホは中学生の時、美術の教科書で「麦畑」という作品を見て以来、
大好きな画家です。
「麦畑」はアルルの太陽の下、風にざわめく広大な麦畑と何羽かのヒバリが描かれた作品。
風の音と、ヒバリの声、そして麦の匂いの感じられるその絵に見入った記憶がある。
そして同時期にみた西洋映画「炎の人」のひまわり畑の色。
そして30年程前にみた劇団民芸の滝沢修主演の「炎の人」。
ゴッホという、まっしぐらにこの世を駆け抜けた人間を、痛ましいほど無垢な魂を、感じた。
今回の「炎の人」、私も年もとり、主演の仲代達矢さんももう熟年。
若い時にはかえって分からない青年期というものもあるけれど、
人生の最終駅に近づきつつある人間が、より強く感じるきらめきというものもあると思うけど、
でも、もう少し若さがほしかった、と思う。
ちょっと私のゴッホ像とは違うという違和感が残ってしまいました。
今回公会堂の使用停止による文化ホールでの久しぶりの例会。
トイレの数が足りない、出入り口が一つなので、帰りは人が殺到する、
などなど、例会運営の上で公会堂とは違う困難さもあります。
しかし、当日理由あって不参加の方の席を有効に利用する、
「席詰め」と「空席待ち」で、座れない人の数が思ったより少なくて、やれやれでした。
「炎の人」終演時雨に包まれて よし枝
12月13日の夜、昨夜鑑劇しました。私の場合は確か「小林秀雄のゴッホ論」から入ったと思いますが、もう40年前のことで詳細は忘却の彼方です。
「仲代ゴッホ」は先生の言葉では「若さ」が足りないとありましたが、仲代物は他にも見られますが、所謂、一般論に忠実というような気がいたします。それを仲代なりに演じ
るとあのような感じになるのではありませんか?従って、現時点への照射が不足し、残尿感が残るので、観劇後の爽快感乃至カタルシスが訪れず、すっきりしないのはそのためで
ないですか?(12月市議会の質疑に対する市側の答弁はないのですか?)
仲代氏のゴッホは、栗原小巻のブランチのように、異質な感じ、水と油のように感じてしまったのです。
12月議会の質問は、私の原稿があるのでUPは一応できますが、追及質問の部分や、市長や当局の答弁となると、ちょっと拾いにくいのです。まあ、思うような答えは貰えません。