今日の夕べ、「長尾達也さんを偲ぶ会」が開かれました。
戦後直後から亡くなる直前まで、
教師として、共産党員として、
真っ直ぐに生きた方です。
穏やかだけど、人権やいのちを蔑ろにすることには、静かだが激しく怒られた、とか
原則的だけど、とでも柔らかい、とか、
みんなが人の言葉に頷き、笑い、亡きました。
そんなに親しい訳でもないのに、長尾さんならどうしても行かなくては、という
私みたいな人が、結構多かったこと。
そして、みんなが長尾さんについて語ることをどうしても聞きたくて、という発言があり、
みんなが、そげだそげだが、と大きく頷いたことが印象的でした。
退職後には境港市長選候補、衆議院鳥取2区候補など、
党躍進への大きな役割を果たされ、
そして、党の”学ぶ力”の支え手でした。
手術の入院に集中治療室にまで分厚い「資本論」4冊持ち込んで、
奥様も度肝を抜かれたといわれました。
退院後の病床でも本を離さず、そして電話での支持の訴え。(私の米子市議補選もです
が、大山町町議選の教員としての後輩大森さんの応援、そしてなにより衆院選でも勝っ
て早くこんな政治を変えたいと強く願っておられたようす。)
「民主的な政府の誕生を見てから死にたいなあ」と、どなたかに語られたと。
4月10日、市議補選告示直前に亡くなられました。
最期の言葉は、「選挙はいつだかいな」だったそうです。
「でも、長尾先生は自分じゃまだ死んどらんつもりで、みんなと活動するつもりでおおなあと思うわ」
という、言葉に、深く頷いたのは私だけではないようです。
そこに集まった44人の誰よりも前向きな、
長尾達也さんの「意志」を強く感じつつ帰途につきました。