元旦正午、勝田神社前の恒例の原水協・核廃絶署名に今年も出かけました。
2,3年前から参拝は、順序よく行列に並ばれるようになって、狭い道路上の安全の面はよくなりましたが、署名には立ち止まりにくいようです。
行きは行列から離脱出来ませんから、「お帰りにぜひ署名を」と呼びかけますが、行列をつくっている人たちの衆人監視のもとに署名に立ち止まるのは、なかなかしにくいようです。
しかし、若い女性や子どもが、友達を引っ張って、また家族に待って貰って署名をしてくれたのは、とても嬉しいことでした。
「安保法制=戦争法廃止を求める団体でこぞって取り組む「統一署名」をもって、地域を回ったり、集金したりに追われてとうとう年末。
時雨降る日も多く、重い腰を毎日引っ張り上げて。天気がいいと勇んで行けば、お留守が多いし。
しかし踏み出して話せば元気が湧きます。
「戦後70年が戦後100年、200年と続いてほしい。」「安心して子どもを育てられる日本に。徴兵制だって出してくるだろうと不安。」「今が大事だね。日本が平和か戦争かの岐路だね。」と。
「いや、アメリカに守られているから平和」「中国が無法なことやってるから戦争法いるではないか」、といわれることもあります。でもそう言われる方でも、突出した軍事予算や社会保障の切り捨て、TPPなどでは意見が同じだったりする。
家族の多いお宅で、署名をお留守のご家族にもとお願いして、返信封筒をともにおいて帰ったら、後日事務所まで届けに来て下さったと聞いて、嬉しいやら申し訳ないやら。
こうして今年は暮れて行きます。
来年、きっといい年にしましょう。
★写真はわが家の水仙。春の先駆け。そして、私が好きな灘町橋近くの加茂川沿いの風景―知人宅へ、集金と署名で訪ねた帰りに写しました。
山田洋次監督の「母と暮らせば」を観に、夜の映画館に走って観てきました。
井上ひさしさんが書きたかった長崎の原爆の「母と暮らせば」、井上さんの娘さん麻矢さんの依頼に応えて、山田監督は「生涯に一番大事な作品をつくろう」と、この映画に取り組まれました。
父親の幽霊と語ることで、一人生き残った後ろめたさを振りきって前向きに歩きだす娘を描いた「父と暮らせば」。「母と暮らせば」は息子を失った母が、その息子の婚約者を新しい人生へと押し出していく話しです。井上作品とは違う味わいだけど、やっぱり泣きました。ハンカチ手に持っててよかった。
そして長崎の急な坂道の家、坂の上の上、山のてっぺんにある墓地、ケロイドのマリアの首のある大浦天主堂、平和記念像、かわいらしい長崎弁―など好きな長崎と、吉永さん演ずる母の着物姿(こんな風に普通に着物を着たいんだよね。)など、味わいました。
加藤健一さんのヘンな「上海のおじさん」は寅さんそのもの、いや生活力は寅さんよりずっとあるようですが。このおじさんの存在感が、強く印象に残りました。
モノクロで語る定好冬日影
冬濤や回船問屋の沖見窓 よし枝
以前から訪れたいと思っていた赤碕・塩谷定好(しおたに・ていこう)写真記念館に5日の土曜日に行きました。(*しおや、と勝手に呼んでおりましたが、しおたに、だそうです。訂正します。)
土曜の午後に北栄町での会議があり、移動途中で寄りました。
塩谷定好は、赤碕生まれで赤碕に暮らし、赤碕で亡くなった明治の写真家です。代々回船問屋であった生家が記念館になっています。
モノクロームのその写真には明治とはおもえぬ新しさを感じました。
併設のカフェで、金・土・日曜は、ランチがあります。綺麗で美味しくてリーズナブルなランチに出会えてラッキーでした。
★写真は記念館の定好愛用の品のある部屋、下は赤碕・菊港の冬の日本海。
世の中酷いことがまかり通される中で、戦争法廃案もTPPからの撤退も、原発廃炉も、産廃処分場建設中止も、諦めず行動する新婦人です。
戦争法が押しとおされ、廃案に追い込むために、署名やスタンディングなどさらに広く取り組もうとする今年の新婦人県本部大会。いつにもまして元気な会だったと感じました。
「親子リズムで新婦人を知り、新婦人しんぶんを開いて戦争法やTPPの話しまで出てくると、なんでリズムでそんなこと話さなきゃいけんの、と思っていた。しかし子どもだけでなく私も成長しました。『いまさら聞けない政治の話し』をもっと聞きたい、学びたい。」この若い代議員の話しに感激の拍手がわきました。その他3名も若いママの発言があり、どれも素敵で感激。
日本共産党の遠藤ひでかず参院小選挙区(鳥取・島根合区)予定候補をむかえた集いが米子市で開かれました。
新婦人内の後援会が主催のつどいです。男性は候補者と福住西部地区委員長ともうひとり。ご想像のとおりの賑やかさ。
「写真の方がイイ男って言われるんですけど」と遠藤候補が言えば、「いや大差ないよ。」「いんや、実物がいい!」と即相の手が参加者から入り大笑い、と言うような調子で、遠藤候補の明るく親しみやすい人柄と話しぶりを反映して終始和やかな会になりました。
介護施設のケアマネ8年という遠藤さんに、「戦争法やめさせる連合政府、もちろん進めるために頑張るけど、年金の少なさ、介護保険料の高さ、なんとかしてほしい」という切実な声も次々。
和やかな中にも頑張ろうと気合の入った会になりました。
★写真、上下は、サプライズで渡された「喉と声を守って」とのネックウォーマーをすぐ着用の遠藤候補とプレゼンタ―の後援会員のこれまた同じ名の遠藤さん。
淀江町のさなめホールで開かれた「水を守る住民会議」。若い人たちの働きで産廃処分場に付いて判りやすくまとめたスライド、若い人たちが素直な疑問を産廃反対で頑張って来たメンバーにぶつける質問形式の第2部もよく、やや説明が足りない部分もありながらもいい会になっていたではないでしょうか。
この質問者の若者たち、淀江生まれ淀江育ちで、この土地の水の美味しさ、他所にいって初めて判ったという土地っ子に、他の県に生まれ育って、この大山麓の自然・環境のよさに移り住んだ方が混じっています。今鳥取県西部はこんな若者が結構たくさんおられます。
「産廃処分場に税金を使うのでなく、リサイクルに努めている県内企業に助成を」、「人口少なく自然豊かな鳥取県こそ、ゴミゼロを目指して環境を守る一番の県になってほしい」、こんな発言に会場から何度も拍手が湧きました。
閉会後JR淀江駅前まで、楽器を弾く人歌う人など若い人を先頭にアッピールの行進をしました。大きく色鮮やかな大漁旗が拡げられ、嬉しくて寄っていったので、私も先頭集団に。
伊豆・伊東市は大変暑く、ちょうど立冬でしたが、季節が後戻りをした感がありました。駅前に大きな椰子の木が揺れているのが南国風でもありました。
治安維持法犠牲者国家賠償請求同盟の女性部全国交流集会です。115名、北海道から沖縄までの各県各支部から参加者が賑やかに交流しました。
基調講演は国際政治学者の畑田重夫さん、戦争法と国民の運動、アメリカの文献などから引いて、アメリの産軍共同体体制、日本が戦後いかにアメリカ言うなりできたのか、などを語られました。会場から、「国民連合政府をつくろうという野党の動きに妨害はないのか」という質問に、「この闘いは階級闘争です。妨害は考えられる。」と。92歳になられたとのこと、全過程を通して参加され、お元気な姿に励まされした。
102歳と97歳の2人の犠牲者の方が証言され、身体はご不自由ながら、前向きで希望をもった生き方を示され感激しました。
分散会では、支部があり女性部があって日常活動をしているところでは、会員も増え、毎年の国会請願署名も増えるということが各地の経験として話されました。国会請願署名の意義や、治安維持法について学習することが前進の鍵。治安維持法も戦前から戦後への歴史も知らない世代に、同盟の運動で語り拡げ、若い世代への継承を図ることも切実な課題として語られました。
★写真は上が畑田先生、下は閉会後訪れた東海館という文化施設=田山花袋、川端康成など文人多数にゆかりある、昭和3年開業のもと旅館。三浦安じんや東郷平八郎など伊東市ゆかりの人物の展示室もある。折から伊東市在住の彫刻家の作品展もあり、それも素敵でした。