「活動日記」カテゴリーアーカイブ

給食の契約化

米子市が突然発表した、

学校給食を保護者の申請による契約制にするという話しに、

市民の怒りが沸騰しています。

昨日新日本婦人の会米子支部など、3団体の代表と市議3人で担当課と懇談しました。

出席を要請した教育長は用があって不在ということでした。

「給食費の滞納が右肩上がりで、累積780万円に達した。」

「債権債務の明確化と啓発が目的」という担当課長の説明です。

しかし、各学校では1年に3,4人、

「率として1%に2011_1027_165409-IMG_0053満たない」、

「余裕がある暮らしをしているのに給食費滞納という不埒な保護者はほとんどいない」と課長、

ならば払おうにも払いきれない貧困な保護者の滞納がほとんどで、

そんな家庭の子どもにこそ栄養ある給食を何の気兼ねもなく食べてほしい。

債権債務の明確化などで脅すなんてとんでもない、と思います。

この契約化は中止されるようにと重ねて要請しました。

ちょっと追われています

blogの書き込みサボっています。                                                   2011_1025_110851-IMG_0010

決算委員会ともろもろに追われて。

今日26日まで北陸に視察に行ってました。

防災、地域力、地域交通の再建などです。また追い追いに、お話します。

★写真は上から、古九谷(加賀市)、輪島市の町並み保存地区、

洞爺湖サミットで使われた輪島塗の高杯(輪島市所有)

期待せずにいったのですが、美しいものに出会いました。

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C-2の配備についてー今日の特別委員会

昨日の赤旗まつりの成功に嬉しい疲れのきょうですが、委員会の一日。

私の所属する「総務企画常任委員会」では、「島根原発に関する中電、県・境港市・米子市4者の協議について」「防災訓練」そして「市庁舎問題」。

原発には徹底した安全対策が必要ではあるが、危険のもとの原発をなくす方向へ踏み出さないのは、

国民(市民)の意識から大きく遅れている米子市の認識です。

午後は「市民福祉常任委員会」で、「環境基本条例」など。

そして最後が「美保基地問題等調査特別委員会」。

C-2の配備について、14日開かれた「米子飛行場周辺地域振興協議会」で、地元6地域の意向として、

「安全性の確保」などの条件付きで同意が表明されたことが報告されました。

条件を出したのは大篠津の自治会で、この「安全」はおもに事故のことのようです。

しかし基地問題の安全とは本質的に、平和を守るか、戦争に加担するかです。

ここを棚上げにした論議は、核心のないドーナッツのようなもの。

この14日の「周辺地域協議会」と今日の委員会を受けて、19日全員協議会で議会としての態度を論議します。

盛況の赤旗まつり

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昨日の鳥取県の赤旗祭りは大盛況。

一日中ひとの流れが絶えず、晴れ上がった空のように明るい祭りとなりました。

私は石橋ブロックの模擬店で「やきいも」。

これが初めて使う機械で(前日練習したものの)火がうまく回らず、

焼けないイモに係りっきり。でも尻あがりで赤字とはならず、まず安心。

原発と震災復興のシンポも講演も、深く味わう訳にはいかなかったのですが、

聞いてるみんなの表情や、模擬店めぐりの人の楽しげな雰囲気、

そして久しぶりの再会の数々、呼びかけた人が顔をみせてくれたこと、

お茶会からの流れ込みなど、知らない顔もちょこちょこ混ざり、

これは成功だ、と嬉しくなりました。

1000人の参加と公式発表でしたが、それ以上ではなかったかしら。

模擬店も駆け足で回って、ジャムやケチャップ、お菓子、神田の林檎、

お目当ての東北物産(津波の被害に遭いながら従業員800人の雇用を守った「阿部長の海産物加工品など、

買いました。

そして写真も駆け巡って取ったんですが、これは失敗。

という訳で写真は岩永なおゆきさんのblogから拝借しました。

決算委員会

22年度の決算を審議する、決算委員会が始まりました。                  2011_0910_122313-KC460060

今年度はうちの会派から私が入りました。

たくさんの数字に囲まれて、請求する追加資料リストなど作っています。

12月議会直前まで、とびとびに続き、

その合間を縫って、常任委員会の視察(原発防災、自治基本条例など)に行ったり、

「赤旗まつり」や原発さよなら集会」の取り組みをします。

本来ならもっとも余裕のある時期ですが、

あっという間の2カ月になりそうです。

★写真は建設中の島根原発3号機(松江市鹿島町)

議場に「日の丸」

昨日9月29日、9月議会の最終日、

「議場に国旗と市旗を掲げることを求める決議案」が、

最大会派蒼生会と第二会派よなご会議ら17名の議員(代表は日本会議所属の尾沢三夫議員)から出され、

賛成19、反対9で可決された。

(反対したのは日本共産党3人、公明党4人、ひとり会派のムスカリ、市民派です。)

「日の丸は侵略戦争の戦意高揚のために使われ、国の内外に日の丸に抵抗感のある人が少なくない。」

「日本と同盟を結んでいたファシズム国家イタリア、ドイツは国旗も変えて戦後のスタートをした。」

「祝日にも掲げている家は少ない。市民に国旗として定着していない。」

「少数会派の意見も尊重され、自由な討論を保障されるべき議場にはふさわしくない。」

「東日本大震災以後「日本は一つ」といって全体主義的な流れが強まっており(もちろん復興支援は大事です)、

その流れのひとつとして日の丸もあると感じている。」

などが反対の質疑・討論で述べられました。賛成の側jは、

「もう戦後半世紀どこにも日の丸に対する憎しみはない。」

「国を愛する気持ちの表明として、日の丸に敬意を表するのは当たり前。」というような意見でした。

日の丸はこれまで米子市議会の代表者会議などで何度も論議されながら、

全会の一致を見ないものは掲げないという結論を出し続けてきた問題です。

数で押し切るのは、少数意見を尊重する民主主義の立場を崩すものです。

いったい戦後の民主主義の教育から何を学んできたのか、と暗澹とした気持になりました。

議場に掲げるか否かは市長に委ねられたことになります。

C-2試作機の飛来ーC-2配備で基地の性格が変わる

昨日は騒音の比較のために、新型輸送機C-2が美保基地に飛来しました。                                  2011_0925_103524-KC460068

従来のC-1と交互にフライト、離陸、着陸を繰り返しました。

防衛省が自信を持つだけに技術の進んだ音はC-1よりも確かに「静か」。

「基地の根本の問題は別に置くとして、毎日騒音に悩まされる周辺住民とってこの静かさは歓迎されるではないか。」(渡辺穣爾市議)

しかし、「通常の訓練時に3機次々にタッチアンドゴーを繰り返せば、それなりの騒音が続く。」(大篠津住民)

「いつものスピードと違う。こんなにゆっくりじゃない。」(大篠津住民)と疑問を残す声も聞かれました。

「訓練基地として、いわば自動車学校のように訓練を繰り返すC-2が頭の上を飛ぶことがこわい。」そして                          2011_0925_110258-KC460075

「小学校や中学校の上が訓練飛行ルートになっている。以前C-1は日本海に落ちた。」(余子住民)

「大根島では低い位置を飛ぶ。高度500mよりどう見ても下だ。家がガタガタ揺れる。小学校の上も飛んでいる。」(大根島島民)

などなど、空見上げつつ話しました。

また航続距離の延びたC-2は直接海外にも飛んでいけることになります。

美保基地から何派か送られたイラク派遣も、

「小松基地へ飛んでCー130に乗り換えてイラクに飛んでいた。これからは直接飛べる」(中四国防衛局長)。                        c-2

「基地の性格が変わるということだね」と市谷知子県議と顔を見合わせました。

C-2は美保基地に2014年度から2機配備の予定。全国初です。

「かっこいい」という若者や「整備が進んでこの基地に常駐調整となれば中も見せてもらえるわな」など、

航空ファンの方々も。帰っていく九州ナンバーもみかけました。

★写真は上から、①降りてくるC-2を見る人たち、②着地し走行するC-2、③C-2のアップ(岡村市議のblogから拝借)

東日本大震災から半年

東日本大震災から半年の9月11日日曜の正午、                   署名・錦織石橋

駅前イオンの前で、

原発からの撤退を求める署名と、

東日本救援募金を募る街頭での宣伝行動をしました。

高校生など若い世代の反応が抜群でした。

●写真は、錦織県議とわたしの後ろ姿に加え、ぴちぴちの彼女たち。

床上浸水

大きな被害はほとんどなかったと思っていた、

私の生活相談区域の中でも、青木の小松谷川が溢れて浸水10数戸、

床上浸水も青木公民館を含め3戸あったとわかり、

今日事情を聞きに青木に行ってきました。

ここは大雨の度に浸水するところだそうで、

車は永江団地の方の高いところに、みなさんいち早く移動させたといいます。

「どこか旅行に出ていても気が気でなくて。いつも天気予報を聞いたり、友人に電話で様子を聞く。」

「雨が降ると夜もおちおち寝ておられない。」など、長い洪水との闘いを語られました。

この度床上浸水も5センチ程度でテーブルにあげた畳も無事だったそうですが、

道路に溢れ川となった水は、大人の胸まで来たそう。(家は何段も上げた高いところに建てられている。)

地元消防団はボートで行き来したそうです。

こんなことは初めて、と。

小松谷川は川床が高く、少し削られるその前は洪水は大袋まで広がっていたといいます。

河川の整備、抜本的な対策が必要です。