某デパートの広い駐車場わきの、長~いブロック塀のお宅に、おそるおそるお願いしました。
「ああ、どうぞ。」と即座にO.K。
いままでどんなポスターも貼られたところを見ていないから、ダメだろうけどな、と思ったんですが、やってみるものですね。
昨日今日、このポスターは民進党の看板などに一斉に貼り出されて、ちょっと目立つようになりました。
今日午前は支持拡大とポスター貼り。午後は支部の会議と、また1日参院選が近づきました。
今日は午前中、岡田まさかず日本共産党参院比例予定候補と街頭宣伝。福米中学校区で6回訴えました。
戦争法をなくすために市民と野党の共闘拡げましょう、必ず政治は変わります、と戦争法=安保法制から話しながら、アベ政権の政策がどんなに若い世代を苦しめているのかを訴えています。
社会に出たその時から、奨学金何百万円返済という借金を背負わされている今の若者。
生活していくためのバイトがブラックで、試験も受けられず卒業が難しくなってる大学生。
奨学金が返せず自己破産に追い込まれたという、NHKのドキュメンタリーも紹介しながら、力がこもります。
県営住宅前。帰宅しても建物に入らず最後まで聞いて暮れた女性がありました。訴え終わって急いで走って行って握手してきた岡田さん。
宅急便の配達バイクで、近づいたときからずっと手を振りながら通り過ぎていった女性もありました。この写真を撮った直後です。
岡田さんの真剣さが伝わるんでしょう。
昨日、佐賀県で、市民連合と野党の統一候補の協定が成立し、32の参院選挙区1人区全てで野党系統一候補が出来ました。
国民過半数の反対を押し切って安保法制=戦争法を強硬に成立させ、自衛隊を「殺し殺される」危険に直面させているアベ政権。
消費税10%への引き上げ2年半先に延ばすと、土壇場で言わざるをえなくなっても経済政策の失敗を認めないアベ政権。
長い熊本地震の危険の中、川内原発を頑として稼働させ続け、何度も事故を起こし、事故を隠蔽し稼働停止せざるを得なかった高速増殖炉「もんじゅ」の再稼働を目指すいうアベ政権。
国民に中身を明らかにすることも出来ないのにTPPを推し進めようとするアベ政権。
国民の声も聞かず、憲法も守らない、独裁のアベ政権。
今日国会は閉幕。参院選です。アベ自公政権とその補完勢力を包囲し、少数に追い込みましょう。
西郷南海子さんの、昨日の合同演説会でのお里帰りスピーチです。大好きなふるさとを思う気持ちと戦争法に反対して「ママの会」として立ち上がったことが自然に繋がっています。素晴らしい訴えでした。
西郷南海子さんのfacebookへの投稿を引用させてもらいました。
実はわたしは、ここ米子市で生まれました。子どもの頃のわたしにとっては「夏休み=米子」。そんなわたしの大好きな米子から、市民の声を形にしようと汗をかく人が参議院選挙に立候補すると聞いたので、大慌てで飛行機のチケットを取りました。
わたしが去年たった一人で呼びかけた「ママの会」は、「だれの子どももころさせない」を合言葉に、全国47都道府県に広がりました。ママたちが、これだけ一気に動いてつながったのには、理由があります。ひとことで言うなら、安倍政権が許せないからです。安倍政権は、自分たちが見たいものを見るためなら、どんなパフォーマンスでもやってのける。その一方で、「命の現場」から声を上げる人のことは、バッサリと切って捨てる。これがいまの安倍政権だと思います。
わたしには3人の子どもがいますが、同じ母親から生まれた子どもでも、持って生まれた顔も個性も違います。自分が産んだと言うのもおこがましく感じるくらい、子どもたちは「かけがえのない」存在です。どんなにお金を出しても、二度と手に入らない「宝物」なのです。これは、日本のお母さんにとっても、内戦中のシリアのお母さんにとっても、南スーダンのお母さんにとっても同じです。
わたしが小さかったとき、米子のおばあちゃんは戦時中のことを話してくれました。いま80歳になるおばあちゃんは、もともとは、ここからすぐ近く安来のお醤油屋さんの娘でした。工場の両側に階段があって、登ったり降りたりと、かくれんぼにぴったりだったそうです。何人もの職人さんと一緒に生活し、一生懸命お醤油を作っていたそうです。そんな工場ですが、戦争の終わりに、みんなの手でつぶすことになりました。万が一、空襲にあったときに、建物が燃え広がらないようにと、前もって建物をつぶしておくことが命じられたのです。工場の柱に縄をかけて、職人さんも近所の人も一緒にひっぱって、工場をつぶし倒したそうです。
自分にとって大切な場所を、自分たちで壊し、それを最後まで見届けるというのは、どんな気持ちだったのでしょう。わたしは子ども心に、もしそのお醤油工場が残っていたのなら「わたしもかくれんぼができたのに!」思っていました。それも、あともう少し待てば敗戦だったのに。…大人になったいま、この話を思い出して、あらためて考えました。まさに戦争とは、自分たちの宝物を、自分たちの手でつぶすことなのだと。
いま政府は、沖縄の普天間(ふてんま)にある米軍基地を、手狭になったからという理由で、次の場所に移そうとしています。その移設先として選ばれたのが、辺野古(へのこ)という美しい珊瑚礁でした。ここには、天然記念物のジュゴンだけでなく、まだ確認もできていない新種の生き物がいると言われています。…人間よりも前からいる生き物を「新種」と呼ぶのは、おこがましいかもしれません。ほかにも、琉球王朝時代の遺跡が眠っていて、埋蔵物の調査が行われています。
わたしは、この2月に10年ぶりに辺野古に行ってきました。そこでの説明を聞いて驚いたことがあります。沖縄・辺野古の海が、こうして「宝物」のようなあり方を保つことができたのは、71年前の沖縄戦を、奇跡的にくぐり抜けることができたからなのだそうです。
71年前のちょうど今頃、沖縄には米軍が上陸しました。「鉄の暴風」と呼ばれ、地形が変わってしまうほどの爆弾が打ち込まれました。それは日本で唯一、住民が巻き込まれた「地上戦」でした。避難の足でまといになるという理由で、たくさんの赤ちゃんが殺されました。子どもたち同士が、手榴弾を爆発させて命を絶ちました。その遺体の多くが、まだ森の中に眠っています。そして、生き残ったおじいさんおばあさんたちは、いまもなお地上戦の記憶に苦しめられています。
そういった土地で、ついこないだも、新たな犠牲者が出てしまいました。二十歳の女性が、夜に散歩に行っただけなのに、帰ってくることはなく、白骨遺体となって見つかりました。容疑者は、米軍基地に務める元海兵隊員でした。米軍基地の中で行われているのは、殺人の訓練です。自分も含めて、人間を人間と思わなくなることが、兵士としての第一歩です。そうして、沖縄からはベトナムにもイラクにも、多くの兵士が旅立って行きました。
沖縄の人々は「もう我慢できない!」と叫んでいます。沖縄戦で血が流され、ベトナム戦争で血が流された土地に、新たな犠牲者を横たえることは、もうやめにしたいのです。わたしは思います。「本土」のわたしたちのいい加減な「知ったかぶり」こそが、沖縄の人々を傷つけているのだと。「沖縄は米軍基地がないとやっていけないんでしょ?」などという「上から目線」で物事を考えるのはもうおしまいにしましょう。沖縄の人々にとっての宝物、辺野古の海は、わたしたちにとっての宝物でもあるはずです。それは、米子の人にとって、キラキラとした皆生(かいけ)の海が宝物であるのと、一緒です。
わたしは、次の選挙は、ひとりひとりの「生き方」が試される選挙だと思っています。「苦しい、もう我慢ができない!」と声を絞り出している人に対して、一緒に声を上げるのか、それとも見て見ぬふりをするのか。次の選挙は、この分かれ目にあります。自分の生き方を棚に上げて、物事を「上から目線」だけで考えるのは、おしまいにしましょう。
わたしたちの宝物を、わたしたちの手でつぶすようなことは、もう繰り返しません!次の選挙は、「命の現場」からの声を形にしてくれる人を、国会へ送り込む大チャンスです。ひとりひとりの宝物を、もっともっと輝かせる世の中を作るために、なんとしてでも横に、横に、手を取り合いましょう!
★写真は山内芳彦さんの撮影されたものです。
市民と4野党の合同演説会。雨に降られましたが、米子文化ホール前広場が人と傘で埋まりました。
美保基地の航空祭やダービー(ウィンズ)の影響があって開始に遅れた人も続々と来られ、じわじわ一杯に。1500人!
米子出身のお母さんの里帰り出産で生まれ、「ちっちゃい時は夏休みというと米子だった」で始まった、「ママの会」の西郷南海子さんのお里帰りスピーチがトップ。米子のおばあちゃんから聞いた戦争体験の話しもまじえて。
そして、新社会党の元参議院議員栗原君子さん、社民党の元衆院議員知久馬二三子さん。
山下芳生日本共産党福委員長は、「32の一人区で30は統一候補が出来、残りふたつも着地寸前。みなさんのあと押しが、なかなか困難だったこの壁を乗り越えさせた。」
民進党枝野幸男幹事長は、「これほど野党の共同がひろがるとは思わなかった。自民党が平和を守る保守だと思っている自民党の支持者に「それは間違いだよ」と、独りひとりに働きかけ、あとひと月の参院選で勝ちぬこう。」
ラストの参院選挙区統一候補の福島浩彦さんも力のこもった決意表明。
力合わせて自公政権とその補かん勢力を破ろうという熱気ある街頭演説会でした。
★写真は、(上)白鳥のモニュメントを背景に壇上のスピーカー4人と司会の浜田妙子県議。そして、(下の左)福島浩彦ー鳥取・島根合区野党統一候補。(下の右)山下よしき日本共産党副委員長と西郷南海子さん。
「戦争法は廃止!野党は共闘!の市民の声が後押しして野党の共同が広がって、参院選選挙区の全ての1人区で野党の統一候補が出来る見通しが立ちました。」
「鳥取島根選挙区は4野党と市民の共同の予定候補、福島浩彦さんの勝利、比例代表は野党共闘に誠実に取り組んできた日本共産党を延ばし、更に共闘を強く、戦争法廃止の力にして下さい。」
「5月29日の4野党と市民の合同演説会に『ママの会』の西郷南海子さんが来られます。ぜひご参加を!」と呼びかけました。
★写真上は演説会チラシと西郷南海子さん。下は、スーパー前宣伝の頼もしい浜の男たち。そして、今日も家の地域の空を騒がせた美保基地の自衛隊機。航空祭が近いので何度も低空を飛んで宙返り。これは美保中学校の上です。朝立ちの写真はなし。またいずれ。
参院選比例代表の予定候補で、鳥取県を中心に活動する岡田正和(おかだ・まさかず)さんが、昨日から西部地域で活動しています。
今日の午後私は、岡田さんと米子文化ホール前を皮きりに、弓浜半島部を走りました。
岡田さんは、熊本地震の救援に行ったことから、川内原発を熊本の人たちが心配している、地震大国日本に原発はいらないという話しに始まり、若い世代の抱える大きな問題ー学費が高いこと、大学卒業と同時に奨学金という借金を若者が背負うことが許せない。10年かけて学費を半額に、返す必要のない奨学金を。またブラックな働かせ方をやめせ正規雇用を増やすことに力を尽くしたいと、熱く語りました。
また戦争法を廃止する、立憲主義と民主主義を取り戻すために、野党は共闘してほしい、この皆さんの声は野党に届いてる。今全国32の1人区のすべてで野党共同が成立する見込みになっている。選挙区では野党共同の福島浩彦さんの勝利、比例代表では野党共闘を強める力、日本共産党の躍進のために、先頭に立って頑張ると訴えました。
29日の4時半から文化ホール前で開く、市民と4野党の合同演説会へご参加下さいと案内もしました。
若い岡田さんの真剣な訴えに、「誰かな」と、家から出て来た女性もあり、文化ホール前では演説後の彼に話し掛ける人、夜見町のまるごうでは、行ったり来たり、立ち止まったりで聞いて下さる方もありました。
3日程断りもなくBlogをお休みしてしまいました。この間、国賠同盟の「治安維持法犠牲者の国家賠償を求める請願」署名をもって、国会に行って来て、今夜帰りました。
ドイツやイタリア、そして韓国などではファシズムと闘って弾圧された人たちを讃え、生涯年金などの賠償がされています。日本では何の謝罪も賠償もない、そして安保法制の成立させられ再び戦争をする国となる危険のある今、治安維持法による弾圧のあった歴史を見つめ直すことが大事です。
今回の行動に全国から参加した国賠同盟の仲間は187人で、これまでで最高、署名の数も過去最高の228,997筆でした。鳥取県は目標6000筆には少したりませんでしたが、有権者比1.18%で、1.27%の山形に続く2番目、頑張ったんですね。
昨年70数名だった紹介議員の数が増えて、この請願が取り上げられ国会で審議されることを願います。
今回犠牲者本人の、102歳が最高齢の、4人の犠牲者の方が行動に参加され、4年ぶりに法務大臣との懇談ができ、「重く受け止める」という大臣の言葉があったそうです。また日本共産党の議員団、民進党の2議員との懇談もされました。
参議院は開会で、衆議院も各種委員会などがある日でもあり、紹介議員になってほしいと、各県ごとにその県選出の国会議員に面談に行っても、本人に会える件数は少なかったようですが、共産党や民進党の議員、一部自民党議員とも話すことが出来たようです。。
鳥取県は石破茂大臣の秘書さんには大臣職にあるものはどんな請願も紹介議員とはならないと断られ、舞立議員の秘書さんには自民党はその請願の紹介議員にはならないことを決めていると断られ、赤沢、浜田の両議員には秘書さんに「その旨お伝えしておきます。」といわれて、話す余地もなし、と言ったところでした。
共産党の仁比聰平議員、畑野君枝議員、そして無所属でオール沖縄の糸数けいこ議員が、忙しい日程の合間を縫って激励に来られました。
昨夜は横浜にいる母のところに泊まり、今日は横須賀の山の上の祖父母と父、そして義弟が眠る墓に参ってから帰ってきました。
★写真は、仁比参議院議員、102歳の犠牲者水谷安子さん、そして下は墓参りの帰りに見た逗子の海です。
湯梨浜町出身の青砥恭さん(さいたまユースサポートネット代表理事)の講演会でした。
青砥さんは、さいたま市で、若者の居場所、生活困窮世帯の学習支援、就労支援などの一連の若者支援をしている、さいたまユースネットをつくり活動をしてきた方で、明治大学で教育学を教えておられます。
貧困層の拡大、とくに若い世代の非正規労働化が生み出すワーキングプアの家庭から、学校にも居場所のなくなる子どもが生まれていること、社会から大事にされていない、自分は人と違うと感じ、貧しさから抜け出す道を見つけられない子どもが増え続けている、と。
親の職業(経済力)と学力の相関、援助率と進学率の反比例のグラフの紹介があり、また最下層の所得世帯の子どもで3時間以上勉強する子の学力の平均値は、最上層の所得世帯の、全く勉強をしない子どもの平均値よりも低い、などというショッキングなグラフもありました。さいたまなどの都市部と米子でもそう大きな違いはないであろうとのことです。
この貧困の連鎖をどう断ち切るのか、この子どもたちをどう救うのか、重い課題です。
青砥さんは,サポートネットの活動をしながら市と相談し続けていること、行政に働きかけていくことが大事と結ばれました。
下は2部のパネルディスカッションの方々。向かって右から青砥恭さん、通信生高校の藤波先生、子ども自立支援ホームの理事長山澤さん、子どもの人権広場世話人代表の安田弁護士です。