米子市9月定例会の日程をお知らせします。
おおたか15周年記念講演会
医療生協のおおたか診療所の15周年記念公演に、
朝日新聞記者の伊藤千尋氏が来られるというので、
尾高の「シャトーおだか」へと上がりました。
「活憲の時代」と題し、世界68カ国を飛び回るジャーナリストとしての視点から、
憲法が生活の中に生きている国々、コスタリカ、ベネズエラなどのふつうの人々が、
憲法を使って生活している話、小学生でも違憲だと訴訟を起こす話、
そして憲法9条が世界の国々で、平和の道標として大事にされている話、
そしてアメリカの変化とそれをひとりの闘いから起こした人たちの話、など。
日本にも貧しい小さな村でありながら、国に先駆け老人の医療費無料を実施し、
今もその流れをまもる岩手県の沢内村などがある、と。
ユーモアたっぷりのテンポのよい話に、笑いながら聞き入りました。
憲法を活かすこと、そしてひとりひとりが愛される平和を広げること、
それこそが21世紀の世界の流れなのだと、力づけられる講演でした。
俳句・初秋
松江へ、倉吉へと講演会、会議の多いこのごろです。
新涼の大根島に風めぐる
島の秋海そら雲の大パノラマ
焼け土に秋呼ぶ地下の水上げて
氏神の夜祭閑づか八月尽
長き日の幕引き融けゆく秋夕日
休日の仕上げ黙々秋刀魚焼く
核の傘閉じよ秋風発信す よし枝
人権連の講演会
昨年遅れている同和問題の前進のために結成された鳥取県人権連の、
2回目の講演会でした。8月30日東伯まなびタウンで開かれました。
講師は岡山大学・小畑隆資先生。
この写真真中が小畑名誉教授、話しているのは佐々木康子人権連代表世話人。
「同対審答申が問いかけたものー基本的人権の視点から考える」というテーマで、
部落解放運動のなかで同対審(同和対策審議会)の答申の果たした役割、
そこから同じ同対審から始まりながら、ふたつに分かれた運動のこと。(部落解放同盟と全解連=全国地域人権運動總連合)。
最初は難しい話だな、と思いましたが、
「なぜ解放同盟は、差別するものと差別されるものとに人を分け対立構造をつくるのか、それは人権の捉え方の問題、被差別部落以外の一般地域の人の人権は、既に確立しているという捉え方に問題がある。」
「具体的な違いだけを取り上げ、それがなくならない限り部落差別はなくならないというなら、人はみな違うのだから、永久になくならない。人権というあくまで抽象的な概念が、ひとりひとり違う人間同士の基本的人権を確立していく力となる。」
こんな言葉に、なるほどと納得しました。
第2部は、教育の現場から小中学校の同和教育の実際、
被差別部落の人の経験と意見などが発表されました。
「進出学習という特別授業を部落の子どもだけが受けるのは、今の実態からみてもう必要のないこと。中学校になって同和学習の中で、自分が被差別部落の出身であることを発表させられるのは可哀想だ。」こんな親の意見。
「いずれ必ず差別を受けると覚悟せよ、と教えられた同和学習が、自分の心に傷をつくった。人が信じられなくなった。痛みを受け止めてくれる友人にあったことで救われた」と自分の体験を語った若者。
そして、まじめに同和教育に取り組んでいくなかで悩んでいる教師、教委の側、解放同盟の側の情報しかないとおかしなことになると気付いたという教師。
熱心な討論となった。(ピンボケ写真お許しください。)
島根原発点検もれ問題講演会
今日28日(土)午後松江市のくにびきメッセで、
中国電力主催で、点検漏れ問題に関わる講演会があるということなので、
中海を渡って参加しました。
大海崎堤防の上を走って、35分。
くにびきメッセに到着。
始まる前にパチリ。
講演中は撮影禁止。
講師は名城大学の教授で、
2007年から中電の企業再生プロジェクト諮問機関委員長を務められた、
郷原信郎(ごうはら・のぶお)氏。1955年、松江生まれ。
「思考停止社会とコンプライアンス」というタイトルで、
「コンプライアンスは法令遵守と訳されることが多いが、イコールではない。遵守という言葉は思考を停止させてしまうデメリットがある。コンプライアンスとは、社会的な要請に鋭敏に応え目的を実現すること。」と導入部で語り、
日本社会は水戸黄門の印籠にひれ伏すような、自らの思考を簡単に停止する社会で、
「偽装」、「隠ぺい」、「改ざん」、「ねつ造」という言葉の前には思考が停止してしう。
今度の原発点検不備問題は、2002年に起った東電データ改ざん問題の影響で、
点検強化の方針に過剰反応した過重な点検計画表に、
無理のあるのに気付かないまま、縛られているという実感もなく行ってきたもの。
今は客観的な安全性よりも、
安心を求めることに消費者のトレンドが変化している。
それに応えるセンシビリティ(鋭敏さ)に欠けていた。
これからは情報開示と説明により、住民の信頼を得るよう努めなければならない。
わずかに残る危険性にも注意を払いながら、概ねこんな主張です。
原発の度重なる事故に、世界中が安全性を厳しく問う情勢の今、
この危機意識のなさはどうだろう。
中電の安全性への意識は、こんなものなのかと、改めて思ったことです。
情報開示といいながら鳥取県側には住民説明会をする意思もなく、
やはり簡単に操業開始を許してはなりません。
帰りにちょっと足を止め、
田島の港をぱちり。
早く中海の流れを取り戻しもとの豊かな湖にしたいものです。
原水協の報告集会
2010年原水爆禁止世界大会参加者の報告と、
5月ニューヨークのNPT再検討会議に参加の真壁容子さんの報告の集会が、
8月25日夕、米子市公会堂集会室で開かれました。
写真は5歳の娘さんと参加されたHさん。娘さんの頭越しに撮った原爆ドームなど、
たくさんの写真の手作りアルバムを手に報告されました。
核廃絶は遠い課題ではなく、目前の動き始めている課題だということを、
報告者が口ぐちに語られていました。
世界中で核廃絶への運動が、おおきな一歩を踏み出そうという時、
日本政府こそリーダーシップを発揮してほしい、とも。
「これまでは内心大したことないと考えていた署名の力が、運動を進めていると実感した。」 という発言もありました。
Hさんの、「ご一緒に行動しましょう」という呼びかけに大きな拍手が起こりました。
真壁さんのニューヨーク報告も、まるで真壁さんと一緒に歩いたかのように、
リアルに感じられるもので、素晴らしいものでした。
私たちの集めた署名が大切に受け取られ、国連を動かしている様子がよくわかりました。
写真がなくて(気づきが遅かった)ごめんなさい。
明日から新学期
明日から新学期だそうです。
でも、そうしなければならないほど、学習内容が増えたのでしょうか。
崎津小、大篠津小など、美保基地の関係でエアコン完備の教室はよいけれど、
この猛暑の中、子どもたち大丈夫でしょうか。
今日は自由研究の仕上げなどで、
うちの小学生3人も、周りの大人も大わらわでした。
「里帰り」?でした
横浜に妹の家があり、母がともに住んでいます。
それで横浜に行くのは、里帰り?のようなもの。
ひさかたにお休みを3日ほど取らせてもらい、東京・横浜へ。
ゆっくり母の顔を見てきました。
横浜、みなとみらいから、
ベイ・ブリッジを見る。
中華街、韓国など外国の観光客多し。
個性的なお店が住宅地のなかに点在する鎌倉の路地を歩いてみました。
上は民家をそのままに、TeaHouse。下は洋風建築の一部を手打ちそば屋。
そのそば屋の張り紙が下です。
という訳で、夏休みでした。
おまけです。浅草で。
初秋や母老犬と宵散歩
(15歳に近い愛犬虎次郎の散歩が日課の母、
熱中症にならぬよう気遣いあって。)
清方の画室風訪う秋気配
(鎌倉・鏑木清方記念美術館にて) よし枝
65回目の終戦記念日
お盆の15日の今日は、また終戦記念日。
市内4か所の街頭演説とそれを繋ぐ流し宣伝をしました。(錦織県議、岡村、松本、私の3米子市議が参加。)
戦後65年間、戦争になってどこかの国に攻められることも、
どこかの国を攻めることもなく、「平和」であったことは、すばらしいことなんですよね。
今年はまた日韓併合100周年。
日本は1世紀100年前侵略戦争で攻め込んで相手の国を植民地とする国だった。65年前の敗戦までそれが続いた。
今、世界は紛争の解決は武力ではなく、
話合いによる平和的解決をすることが主流になっている。
平和を願う世界の人が、日本人に大切にしてほしいと言っているのが日本の憲法9条。
核廃絶も遠い目標ではなく、核の傘からの離脱を各国に求める現実的なものとなっている。
この核廃絶の運動を引っ張ってきたのが、被爆国日本の平和運動です。
しかし、今の日本は、日本人は、
戦前や戦中戦後の歴史の認識も浅く、日本がアジア諸国に与えた被害も、
正面から受け止めていない。
軍事同盟が解消され、東南アジア友好条約には54カ国、世界の7割の人口を抱える国が参加している。
しかし、日本は50年間日米安保条約のもとにあり、国中に米軍基地がある。
アジアと世界の平和のためには、日本人は自分の立っているところをよく知らねばならない。
街頭宣伝をしながら考えました。
お盆ですね。
いきなり墓地の写真で失礼します。
わが家のお墓は道を挟んですぐ隣なので、
毎晩のお墓参りも、ささっと行けます。
代々の二十幾つの墓を掃除し、お花供え、お盆が始まります。
わが家には盆の帰省者もなく、逆に6年、5年生のふたりの子が、
東京に遊びに行ってしまったので、静かなお盆でしょう。 うちから隣の墓地をみたところ。こんな風に一族の墓を守る暮らし方も、だんだん変わっていくのでしょうね。