戦争体験を聞き、戦争や戦争をしない国にすることを考える、
「母親集会」(鳥取県西部地区母親大会連絡会)が開かれ、
やく30人の参加で、
従軍看護婦として中国でのの戦争体験を語る、安田要子さんと
兄を広島の原爆で失い、被爆直後のヒロシマをみた、安井みえ子さんの話を聞きました。
「毎朝毎朝何人と亡くなる兵隊さんを、アカシアの花の下の道を運んで山へ捨てに行った。」「麻酔もなく手術をし、痛がる兵士を軍医が怒鳴りつけた。」・・・安田さん。
「兄を捜して母と降り立った広島の光景を忘れることは出来ない。原爆の絵のとおり。」「夜ヒロシマの光景が頭の中をぐるぐる回り、法話を聞きながらでなければ、眠りにつけない。」「兄を失った母は毎日海に泣きにいって、なかなか帰らなかった。長生きするなよ。長生きほどわるいことはない。と、次々親族を失った母はいつも言っていた。」「美保基地の工事に、朝鮮の人、青服赤服の囚人が連れて来られて、竹で彼らを叩く”叩き屋”が雇われていた。」・・・安井さん、などなど。貴重な話しが次々でました。
やや若いお母さんや、うんと若い27才の女性から、「戦争は後々まで大きな傷を残すことを知った。もっと祖父母の話きいておくんだった。」「ヒロシマに修学旅行で行った息子と、もっと事前に話し込んで置くんだった」などの発言もありました。
黒一点の竹内利友さんから、「日本の戦争の歴史について、被害だけでなく、加害者であることも知って伝えねばならない」と言われ、関連して、
「北朝鮮の拉致がいいわけないが、日本はあれよりはるかに大規模に、韓国の人たちを強制連行してきた。」という話しも。
9条の会の世話人、大谷輝子さんから、千田夏光の「従軍慰安婦」のこと、9条の会のことなど話されました。
私は、今年亡くなった元ベトナム帰還兵のアレン・ネルソン氏の、
数年前に米子に来られた時の言葉、
「基地があることは、そこで人間性を捨て人を殺す訓練をしてるということ。休日に基地の外に遊びに出ても、その気持ちを基地に置いてでて行くわけでない。」を紹介し、
そして、近々の話題で、2年前から美保基地が米軍の使用基地となっていたと分かった。みんなで監視し、声を上げて常用の基地とならないようにしましょう、と訴えました。
右端の和服が私。
休みの日だからと。
ついでに今日のいでたちです。
綿織物の川越唐桟に、朱の羽織です。
アカシアの土に還らす兵運ぶ よし枝
ヒロシマに逝く兄を哭く母の海 よし枝