石橋 よしえ のすべての投稿

戦争法案をストップさせる夏です、と花を供えました

2015_0813_113441-IMG_5220お盆です。暑くて花が痛むので、今朝明けてからお花を供えました。

わが家の道ひとつ挟んだ隣が石橋一族の鼻所です。うちは本家ということで、24基の大小のお墓、風化しかけたような古いものから近年のものまで、ふつつかながらお守りしています。

草とり、掃除は済ませてあって、お花を供えるだけなのに1時間以上かかります。中・高校生の姪の子たちにも手伝って貰って、雨の中を3人で。

満州の開拓団からいのちからがら、赤ん坊の夫を連れて帰って来た夫の両親、一緒に帰って来た叔父夫婦が眠っております。夫は帰国の船の中で大病を患い、海に捨てられそうになったのを、みんなで守って連れ帰ったと聞きます。

あの大変な時代を越えて来た方々に、戦争法案ストップさせる夏ですね、と話しかけました。

 

超党派で女性議員・元議員が「若者を戦場に送らせない」アピール

2女性議員アピール「若者を戦場に送らせない」女性議員・元議員有志のアピール、今日超党派の38人で発表しました。

鳥取県内の県議、市議、町村議、元議員が、7月23日からの緊急呼びかけに応え県庁に集まりました。

県議の民主党・浜田妙子さん、日本共産党の市谷知子・錦織陽子さんの呼び掛けで、待ってました!とばかりに参集しました。

会見の後は鳥銀文化会館まえの県庁に向かう交差点で、リレートーク。「戦争法案廃案まで、アベ政権退陣まで頑張るぞー!」「おお!!」「せっかく集まったんだから、これからも一緒に」、「賛同者もっと増やそう」などと言い合いながら行動を終えました。

★写真上は記者会見中の13人。下は鳥銀文化会館前でりレ―トークのメンバー。

女性議員アピール3

「やなせたかしの世界」展の安来市加納美術館へ

2015_0806_205039-加納美術館・やなせたかしアンパンマンーあんまりカッコよくはない正義の味方。あんぱんの顔を汚されたり、ひもじい人に食べさせてあげたりして、直ぐによたよたになりながら、新しい顔をつくって貰うとエネルギーが充填されて再び人を助けるアンパンマン。そして敵なんだけど憎めないバイキンマンが好きです。

加納美術館ー安来空億出雲に向かう山の中の小さな美術館を初めて訪ねました。

アンパンマンもちろん嬉しい。子どもさんが遊べるようにしてあるから、夏休みお勧め企画。

それもさることながら、静かなその環境にほっとしました。そしてその人の絵と備前焼などのコレクション収蔵のために美術館を建てたという加納莞蕾(かのう・かんらい)と言う人。布部村長の時代に、村民の一人がフィリピンで戦犯として裁かれ死刑になったことがきっかけで、在日フィリピン大使に元日本兵の釈放を何度も嘆願し実現した人だそうです。

平和を愛した莞蕾さんにも触れたこと、莞蕾(ほんのり膨らみかけた蕾の意)というのは人生や俳句の氏であった福島小蕾(ふくしま・しょうらい)さんにちなんだもの。その友に旦蕾(たんらいーまだ明けざる朝の蕾)さんがいたということなど、館長で莞蕾氏の四女佳世子さんが話して下さいました。2015_0806_213825-IMG_5199

1300人が安保法案は「いけん」

[]安保法案反対鳥取県民大集会に1300人(主催者発表)、1500人という声もあります!

メイン・スピーカーの小林節慶応大名誉教授、「憲法審査会での違憲発言が潮目を変えたというけれど、私たちは最初からそう言っていた。変わったのは自民党、急にあたふたし始めた。」「あれ以来何処に行っても誰もが私を知っている。みんな判っちゃったんですよ、安保法制のことが。」「野党はもめないで力合わせて、もう一度政権交代を、アベを政権の座から降ろさないといけないんですよ。」

「普通のママが普通のことを言ってるだけなんです。」というママが立ちあがって作った「安保関連法案に反対するとっとりママの会」の皆さんは「だれの子もころさせない」という横断幕をもって登壇。

先日若者デモを行った人、元自衛官ーいづれも若い人たちの発言、勇気に、元気を貰いました。

★「いけん」を掲げた写真は小村勝洋さんから頂いてきました。あとは私撮影。

2015_0802_124020-IMG_5152かみしも2015_0802_134334-IMG_5162

戦争法案反対7.26集会・デモー行動すれば力が湧く

2015_0726_215621-7.26戦争法反対デモ・私2015_0726_215346-7.26戦争法反対デモ1前回7月17日の集会・デモから間もなかったので心配したけれど、あつまりましたね。集まれば力湧くんですね。

8月2日の県民大集会を呼びかけられた鳥取県弁護士会の足立珠希会長が出てこられたこと、作家松本薫さんの24日の国会前7万人デモの報告「7万人のデモ、これまでデモなんかしたことのない人が。子どもを抱いた若いお母さんが、肩車したお父さんが、会社帰りのサラリーマンが、何かせずにおれない、私も行こう!と集まって来た。」が、この間の情勢の進展を感じさせてくれました。

若い人たちが立ち上がり、この戦争法案阻止・安倍政権打倒の闘いを引っ張っています。

さて老いも若きも、元気でも、疲れていても、集まろう。声上げよう。

追い込め、アベ政権。

講演と琉球舞踊のつどい

2015_0725_155614-IMG_5144辺野古新基地建設反対・戦争法阻止「講演と琉球舞踊のつどい」が米子コンベンションセンターで開かれました。300人の小ホールは観客が一杯で、とうとう立ち見がでたほど。

実行委員会の中心、あいみ9条の会の取り組みと、沖縄にたいする関心、連帯の気持ちが代盛会を呼んだのでしょう。

平安山英盛(へんざん・えいせい)さんは敗戦の1945年の生まれ。戦後沖縄の、土地を取り上げられ、収容所に入れられ、生まれ故郷とは違う土地に捨てられた、沖縄の人たちの体験にはじまり、現在の「沖縄はひとつ」の反基地闘争まで語られました。

3人の兄弟が3人とも医学に進んで将来を嘱望された10代から、うるま市島ぐるみ会議など、いくつもの会の代表など、沖縄ではとても有名な方なのに少しも偉ぶらないお人柄、なぜかPCの調子が悪かったらしく、「動画が動かない、どうしたのかな?」と何度もつぶやきながらの朴訥な話しぶりに大変感じ入りました。

琉球舞踊はカチャ―シ―の陽気な跳ねるような感じと全く違い、ゆっくりした動きの優雅なものでした。

★写真、平安山市は会場が暗くてよく撮れませんでした。

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新婦人の俳句小組、第2回句会でした

2015_0722_000736-1380今日は新婦人俳句小組<GO!しちご>の第2回句会。

今日の最高点句(3点句)は3つ。
日盛りに反戦ポスター仁王立ち    (をさむ)
ゴキブリの飛んで悲鳴の娘かな    (ちえ子)
コール途絶えぬ官邸前の熱帯夜   (よし枝)

なお本日即席のお題は「西瓜」。(うちで採れた西瓜を食べたので)
大西瓜睨んで我慢の血糖値       (恵子)
西瓜食べ句作の女「あとらんてぃす」  (をさむ)
幼き日次を眼で追う西瓜かな      (あき子)
西瓜も並んで平和行進休憩す      (よし枝)

「あとらんてぃす」は会場としてお借りしてる茶房の名です。をさむさんの、お世話になっております、という店主への挨拶句ですね。

 

 

島根原発で虚偽の点検記録をつくっていた中国電力に抗議、説明を聞くー米子と境港の革新懇

2015_0723_100242-IMG_5125米子と境港の革新懇

(平和で暮らしよい境港をつくる会、平和・民主・住みよい米子をつくる会)は今月13日、中国電力に、島根原発の放射性廃棄物の処理に関して虚偽の記録(していない点検をしたと4回1年間分虚偽の書類を作成)をしていたことに抗議、点検記録の公開と説明を書面で求めていました。23日口頭で返事を貰いました。2団体から14名が参加しました。
第3者機関で調査を開始しているということですが、それは社内の調査、分析などの数チームに若干の外部有識者・弁護士を加えた内部の機関です。調査の公正さのために、完全な第3者機関の調査を求める参加者に、「(外の機関の調査だと、その指示に)やらされ感が先に立つから内部で。」とか、記者会見と自治体首長への謝罪だけでなく直接住民への謝罪・説明を求める声に、「社長自らが謝罪をしましたから。」とか、相も変わらず問題の重大さを真剣に受け止めない態度には怒りを感じます。
5年前511か所の点検漏れが発覚し、当時の原子力規制委員会から
安全管理のレベルは最低の「1」という評価をされた中電の体質は、福島の原発事故を体験した今も、改善されてはいないということを感じました。

「大山こどもほようプロジェクト」で大山へ

ハイドパーク18日から始まっている大山子どもほようプロジェクト。空気も水も食べものも安心なところで、のびのび福島の子どもを、線量計を身につけ、つねに放射能を気にせずには暮らせない親子を保養に招くプロジェクト。今年が4年目です。

途中から参加のKさん親子3人を、米子空港にお迎えに行き、大山ハイドパーク(木立の中の広い芝生の広場と小さなコテージ)へ送りました。

槇原駐車場の近く標高400メートルを越える大山のみどりの中、こっそり隠れているようなハイドパーク。

広い芝生の広場も貸切で、思いっきり騒いで遊べます。子どもたちは飽きずに走り回ったり、捕虫網で蒸しを捕まえたり。

Kさんは福島で宿泊施設の仕事を手伝っておられ、客を送りだしてシャワーしたら直ぐに保養に出発してきたんです、と。

原発事故後母子3人で福島県南の実家に避難し、昨年夫さんの転勤でやっと揃って暮らせるようになったと。

今日お話しした、もうひとりのSさん、子ども2人を抱え福島で育てることにもう限界を感じていると。ここでは思いっきり綺麗な空気と水を浴びられることが嬉しいと。

あの原発事故から4年経って、まだまだ悩み深い福島の姿を垣間見ました。

私が山をおりてくる時、薄暗くなったハイドパークで、子どもたちはまだ捕虫網を振りまわしながら遊んでおり、網を振って見送ってくれた。

★写真、上はハイドパークの広場、下は平澤牧場前の芝生です。

平澤牧場