新婦人の俳句小組、第2回句会でした

2015_0722_000736-1380今日は新婦人俳句小組<GO!しちご>の第2回句会。

今日の最高点句(3点句)は3つ。
日盛りに反戦ポスター仁王立ち    (をさむ)
ゴキブリの飛んで悲鳴の娘かな    (ちえ子)
コール途絶えぬ官邸前の熱帯夜   (よし枝)

なお本日即席のお題は「西瓜」。(うちで採れた西瓜を食べたので)
大西瓜睨んで我慢の血糖値       (恵子)
西瓜食べ句作の女「あとらんてぃす」  (をさむ)
幼き日次を眼で追う西瓜かな      (あき子)
西瓜も並んで平和行進休憩す      (よし枝)

「あとらんてぃす」は会場としてお借りしてる茶房の名です。をさむさんの、お世話になっております、という店主への挨拶句ですね。

 

 

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島根原発で虚偽の点検記録をつくっていた中国電力に抗議、説明を聞くー米子と境港の革新懇

2015_0723_100242-IMG_5125米子と境港の革新懇

(平和で暮らしよい境港をつくる会、平和・民主・住みよい米子をつくる会)は今月13日、中国電力に、島根原発の放射性廃棄物の処理に関して虚偽の記録(していない点検をしたと4回1年間分虚偽の書類を作成)をしていたことに抗議、点検記録の公開と説明を書面で求めていました。23日口頭で返事を貰いました。2団体から14名が参加しました。
第3者機関で調査を開始しているということですが、それは社内の調査、分析などの数チームに若干の外部有識者・弁護士を加えた内部の機関です。調査の公正さのために、完全な第3者機関の調査を求める参加者に、「(外の機関の調査だと、その指示に)やらされ感が先に立つから内部で。」とか、記者会見と自治体首長への謝罪だけでなく直接住民への謝罪・説明を求める声に、「社長自らが謝罪をしましたから。」とか、相も変わらず問題の重大さを真剣に受け止めない態度には怒りを感じます。
5年前511か所の点検漏れが発覚し、当時の原子力規制委員会から
安全管理のレベルは最低の「1」という評価をされた中電の体質は、福島の原発事故を体験した今も、改善されてはいないということを感じました。

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「大山こどもほようプロジェクト」で大山へ

ハイドパーク18日から始まっている大山子どもほようプロジェクト。空気も水も食べものも安心なところで、のびのび福島の子どもを、線量計を身につけ、つねに放射能を気にせずには暮らせない親子を保養に招くプロジェクト。今年が4年目です。

途中から参加のKさん親子3人を、米子空港にお迎えに行き、大山ハイドパーク(木立の中の広い芝生の広場と小さなコテージ)へ送りました。

槇原駐車場の近く標高400メートルを越える大山のみどりの中、こっそり隠れているようなハイドパーク。

広い芝生の広場も貸切で、思いっきり騒いで遊べます。子どもたちは飽きずに走り回ったり、捕虫網で蒸しを捕まえたり。

Kさんは福島で宿泊施設の仕事を手伝っておられ、客を送りだしてシャワーしたら直ぐに保養に出発してきたんです、と。

原発事故後母子3人で福島県南の実家に避難し、昨年夫さんの転勤でやっと揃って暮らせるようになったと。

今日お話しした、もうひとりのSさん、子ども2人を抱え福島で育てることにもう限界を感じていると。ここでは思いっきり綺麗な空気と水を浴びられることが嬉しいと。

あの原発事故から4年経って、まだまだ悩み深い福島の姿を垣間見ました。

私が山をおりてくる時、薄暗くなったハイドパークで、子どもたちはまだ捕虫網を振りまわしながら遊んでおり、網を振って見送ってくれた。

★写真、上はハイドパークの広場、下は平澤牧場前の芝生です。

平澤牧場

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国民平和大行進、ことしも境港に向かって

2015平和行進午前中米子駅から和田公民館までを歩きました。

今年は沿道の家や通行中の車からの声援が例年より大きく強く、アベ政権の「戦争法案」強行採決の結果、みんなが怒っていること、平和のために歩く私たちへの励ましを強く感じました。

庭の奥から道路に家の壁伝いに出て来られた老齢の婦人、「私もホントは歩きたいのにこの足では・・・。広島・長崎に私も行った。原爆の被害も見て来た、だのになんで安倍さんは、あんなこと(強行採決)するのか。頑張ってねえ!」と強く手を握られました。

今年はカンパ隊で走り回ることやめよう、バテたら返って迷惑かけると自重していたのですが、後半10代、20代の3人兄弟とそのお母さんがカンパ隊初体験。強引に、「今年は沿道の反応すごくいいから、カンパ隊しよう!」と誘った私も一緒に。バテましたが反応がいいので嬉しかったです。

通し行進者の西田さんは、滋賀県大津の方。市役所定年退職されて、「夢だった晴れの通し行進」だそう。挨拶の時必ず歌われる歌は笠木透の最後の作品。笠木さんが作ろうとした「集団的自衛権」の歌は残念ながら未完成とのことです。午前中浜橋休憩所までは横断幕をもたせてもらいました。写真の白い帽子が私です。

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「アベ政治を許さない」7.18のスタンディング

7.18澤地久枝さん、鳥越俊太郎さんらの呼び掛けに応えて、全国津々浦々で「アベ政治を許さない」という文字を掲げる7.18。

私は錦町交差点に立ちました。知らん顔も少なからずあったけれど、でも「おやっ?」と見て行く人多く、手を振る人は「わが意を得たり!」の笑顔でした。

まだまだ、これから。

安倍政権の支持率は37%に下がり、不支持が51%(共同通信)。もっと追い込んで、戦争法案阻止、アベ政治を終焉に。

「アベ政治を許さない」

 

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戦争法阻止緊急集会in米子

7.17デモ緊急の取り組みで、台風の残した雨の中でしたが、「戦争法案反対!」のコールが、元気よく響きました。

沿道や車から、激しく手を振って下さる方もあり、戦争法案の強行採決が、「アベ政治を許さない」国民の怒りを更に膨らませています。2015_0717_182206-IMG_5116

明日18日午後1時に、いっせいに全国津々浦々で掲げようと、提唱された「アベ政治を許さない」の金子兜太さんの筆文字のポスターや、独自デザインの「アベ政治を許すな」のプラカード、18日を待っていられるか、ともうみんなが掲げています。

2015_0717_182149-IMG_51152015_0717_182137-IMG_51142015_0717_182350-IMG_5118

 

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戦争法案を委員会で与党が強行採決、党創立93周年の記念公演は急遽戦争法阻止決起集会に

2015_0715_200836-IMG_5113予定されていた党創立93周年記念講演の視聴会は、戦争法案阻止の決起集会になりました。

冒頭で、入党30年党員(永年党員)と50年党員の表彰。

50年党員を代表し音田八千代さんが50年を振り返り、生まれて間もない彼女と姉妹、母を残して戦死されたお父さんのことも語り、今この戦後日本の岐路にあって、頑張ろうという思いも語られました。

ほかの永年、50年党員の方も、それぞれに入党の初心を語り、この戦争法案廃案にするために党員として頑張ることをかたられました。

終わりがけに、東京在住の友からメールが届き、「今国会前。すっごい、人、人、人だよっ!」、私は「米子は今決起集会、Mさん(共通の友人)もいるよ」と、エールを交換しました。

2015_0715_184718-IMG_5110

 

強行採決しか残された道はないと、逃げ込んだ安倍政権。追い込んだのは国民です。もっと戦争法廃案にという世論を拡げて、安倍を追い落とすしかありません。

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「『教え子を再び戦場に送るな』というスローガンが迫って来る」と元中学校の先生。

2015_0625_212428-IMG_5071もと教員のMさんと、11,12日の2日間で7人のもと小・中学校の先生を訪ね、戦争法案の廃案を求める署名と、「しんぶん赤旗」の購読をお願いしました。

今の、安倍政権が戦争法案を押し通そうとする政治状況に、どなたも心配しておられ、全員快く署名して頂きました。

ある方は、「こんな時だから、じっとしてはおられなくて、お願いに来ました。」というMさんに、うんうんと頷かれ、「昔組合活動をしていた時は、『教え子のを再び戦場に送るな』というスローガンを、正直時代錯誤かなと思わんでもなかったが、いまの動きを見ているとこれが身に迫って来る。そんなことにしちゃならない。」と語られました。

7人のうち4人の方が日曜版の読者になられました。

★写真は今年のとうもろこし。甘くて美味しいね。

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『「徳島市文化センター」の存続を求める会』の方々が、米子市公会堂ツアー

2015_0712_140517-IMG_5106『徳島市文化センター」の存続を求める会』のみなさん、30名近くが、耐震化・存続した米子市公会堂のケースを参考にしたいと、片道4時間かけて米子にこられました。今米子を留守にしている岡村英治市議の代わりに公会堂見学に同行しました。

文化団体など、徳島市文化センターを活用されている市民と徳島市議、県議などのご一行です。市民劇場や労音の方もおられ、(「私も会員なんです!」と情報交換もしました)楽屋や楽屋風呂、リハーサル室なども熱心に見学されていました。女性群からは「トイレ綺麗!」の声も。

後の説明会では、「なぜ市民の意見を聞くアンケートがとられることになったのか。」「市民の意見はどんな風にどこまで反映されているのか」など、これからの運動の方向を探されるような質問がでました。

市議会での攻防、僅差で存続を勝ち取ったときのことも尋ねられ、細部は記憶が薄れているのを思い起こしながら、超党派でがんばったことを話しました。超党派で取り組めたのは、市民の運動の後押しがあったからです。

5年前Blogの研究会で、瀬戸内海の島での一泊研修にご一緒だった塀本市議(懐かしい!)にもお会いしました。

★写真は公会堂を出て一路帰途につく一行のバス。(間はうっかり撮影し忘れして)。無事に帰られたでしょうか。お疲れさまでした。

 

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午後1時、スーパーまえの「戦争法案を廃案に!」の街頭宣伝

2015_0711_131605-IMG_5103日本共産党後援会の「戦争法案反対」の街頭宣伝。「1の日」でにぎわうはずの某スーパー前。13時。あまり人出は多くなかった。
「若い人たち。戦争に行きたいとおもいますか。女性の、男性のみなさん、恋人や息子さん、お孫さんを、殺し殺される戦争に行かせたくはありませんでしょう。戦争法案は廃案に。ご一緒に声をあげましょう。」
と呼びかけていたら、
「この暑いのに、大きな声で。共産党さんはおひまですね。」
と買い物帰りの男性が、立ちさりながら、後ろ向きで大きな声で。(おや、妨害とまでは言えないが野次?)
すかさずマイクを持ったMさんが「ご声援ありがとうございました」と返されたので、全員声を揃えて「ありがとうございました。」と追い打ちしました。
今日はほんとに暑い、けど頑張ろうと、もう1か所のスーパーへ。14時まえに終了しました。

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お年寄りも子どもも安心して暮らせるわがまちを