ソフトバンクの孫正義社長が、21日、自然エネルギー協議会総会で、
メガソーラーの建設計画の候補地として、崎津工業団地周辺をあげた、
崎津以外は地元調整などのため場所が明示されなかったという。
具体的に進みそうな展開に、ちょっと期待感がある。
馬券場の横には一体何が来ることになるのか、今舟券売り場が進行しているが、
崎津の今後はどうなるのだというところへ、この展開だ。
自然エネルギーのモデルの県として最先端を切りたいと、平井知事。
そう願いたいところだ。原発ときっぱり、さよならして。
ソフトバンクの孫正義社長が、21日、自然エネルギー協議会総会で、
メガソーラーの建設計画の候補地として、崎津工業団地周辺をあげた、
崎津以外は地元調整などのため場所が明示されなかったという。
具体的に進みそうな展開に、ちょっと期待感がある。
馬券場の横には一体何が来ることになるのか、今舟券売り場が進行しているが、
崎津の今後はどうなるのだというところへ、この展開だ。
自然エネルギーのモデルの県として最先端を切りたいと、平井知事。
そう願いたいところだ。原発ときっぱり、さよならして。
米子に帰って、早速20日境港での、吉井英勝衆議院議員の原発の話しを、
夫の録音したボイスレコーダーで聞いた。
老朽化した原発の怖さと、それを刈羽柏崎原発の事故(新潟中越地震による)後から言い続けてきたという、
吉井さんの丁寧なお話に改めて怖さが身に沁みた。
緊急停止後の炉心溶融回避には、超高温の炉心を急速に冷やす必要があるが、
老朽化した原発では、それは「ガラスに熱湯を注ぐ」ようなものという喩えに唸ってしまう。
いつもながら丁寧で弧張のない科学的な語り口の吉井英勝さんだからリアルで怖い。
もうひとつ。アメリカの食糧事情を描いた映画「FOOD.INC」(フードインク)が怖い。
工業化、大企業化された畜産・養鶏の実態や、
遺伝子組み換えなどの食品による、
最大の効率化、最大利益を求めて、4つの大企業が支配するアメリカの食糧・食品。
アメリカ人の4人に一人が糖尿病。
マクドナルドのバーガーを食べて子どもがO-157で死ぬ話し。
「TPP」はこれをアメリカ影響下の国々に広げることだ。
★写真はこわくない、吉井英勝衆院議員と羽田のクリスマスツリー。
週末から今日まで、横浜(妹一家と母が住む)鎌倉(その氏神というのかな)に行って帰りました。
実家の墓が母の住む神奈川に引っ越したからです。
鎌倉八幡宮で合祀してもらったので、
休日の観光客の溢れる中、結婚式と七五三の催しと同時進行で、
黒い服のうちの実家の面々が神主さんについて行列し、
祖霊社というところまで歩いていき、
観光客の注目を浴びました。
神道の祀事は簡素でなかなか清々しいものでしたよ。
墓そのものは横須賀の山の上です。
9月米子市議会の暫定議事録ができました。石橋議員質問と当局答弁を掲載します。
冬晴れの16日、倉吉市へ。
「俳句人」鳥取支部の4回目の総会へ出かけました。
小さな会なのでささやかな事業報告
ーでも全国的な句会へ出かけた3人の報告、そして雑草賞、連盟賞受賞の渡辺をさむ氏の話しで盛り上がり、
ささやかな会計報告のあと、活動をもっと広げるつもりで、年間会費の引き上げをしました。
そしてお楽しみの年一回一同に会しての句会。(普段はFAXのやり取りの紙上句会)
まる3年経ってお互いの作風や生活のことがよくわかってきた仲間の間で、
遠慮のない、そして暖かい句の評価、観賞が飛び交います。
高得点句はなく、以下が2点句です。
眼をはらす被爆牛にも藁をやる 英明
妻に来た遠距離配転冬気圧 よし枝
小春日の母の小言を拾いては をさむ
立冬や仮設薄暮に閉ざされて よし枝
冬菊の大鉢溢れる診療所 よし枝
足腰の追い見透かされ星流る 賢太郎
そう高尚なグループではありませんよ。どうぞご参加ください。
15日、美しい中海を守る住民会議は、
県への要望書を持って8名で県庁へと出かけました。
要望は①森山堤60m開削の効果などのモニタリング結果の公開・説明
②干拓淡水化中止後、県が実施した中海再生の事業と効果の説明
③大海崎堤防の開削と森山堤防の開削幅の拡大の調査検討を、など8項目の要請をしました。
県は企画部長、生活環境部長、農林水産部長など10名ほどの関係部署の対応でした。
2堤防開削を水質回復と治水のために、一刻もはやくというのが住民会議の切望です。
しかし森山堤の60m開削のモニタリング調査をして、
その結果やっぱり更に手を打つべきとなれば、開削幅の拡大や大海崎堤の開削も検討するんだという、
島根・鳥取両県知事の合意によって、実施された森山堤60m開削のモニタリングです。
これについて、生活環境部長の、
「モニタリングは堤防開削が目的ではない、いろいろやってその結果、やっぱり両堤防開削が必要だという検証がされれば開削もあるということ。」
という発言に、「いや検証により必要ならば次の段階へすすむというのがモニタリング実施の目的だ」とか、
「なぜ堤防開削が最後になるのか」など住民会議から異議の声があがりました。
危惧したとおり認識がずれてきているのを感じ、度々話に来なくちゃだめだねと、
県庁9階の眺めの良い食堂で食事とりつつ話しました。(安くて美味しかった。)
★写真は住民会議代表から要望書を受け取る企画部長。
四日間にわたる決算委員会の部課長質問がおわり、
ちょっとひと山越えた感があり、
そのせいか、風邪かな。お腹具合いがヘンだし、声も。
わが家に風引きが4人いて、うつらないようにしていたのに。
部課長質問3日目は、この経済状況で増えている要保護・準要保護の児童について、
4日目は、入居措置率の低い市営住宅について、など質問しました。
今夜も早めに眠るようにします。
★写真は視察で停まった輪島の宿。こんな造りの大きな家が多いんです。この地方は。
落ち着くお宿でした。
[関連資料 11/12追記 by おてつだい] 米子市資料 >> 地域住宅計画(Ⅱ期)米子市地域(社会資本総合整備計画) 平成23年3月 PDF87KB
4日、部課長質問の2日目、
市民生活部、福祉保健部の福祉の各課には、
時間外労働が毎年多いことが先ず、質問されました。
そして「いくら定数削減といっても必要な人員はいる。どげなだ?」という質問が、
私ではない他の会派の議員の発言であり、
「確かに増やしていただけたら、という思いがあります。」という答えも。
私は健康対策課に、保健師の数が他市に比べ極端に少ないことを、下の数字をもとに示し、
母子、乳幼児健診から成人、高齢者の健診など健診をはじめ多岐に渉る仕事があり、
例えば、健診結果の分析や、問題のあると思われるケースについての追調査、
困難を抱えた母子や、家庭のケアなどがほとんど出来ないという保健師の声を伝え、
米子には保健師の増員は急務ではないか、と質問。
健康対策課からは「その通りだと考えます。」という答えでした。
そのほか、国保の会計について、22年度は基金も崩し、一般財源も繰り入れてなお赤字。
23年度は保険料引き上げたが追いついていない。
保険料の引き上げでなく、財源の根本を見直し、
国の負担、県の助成を増やすよう求め、当面さらに一般財源繰入をすべきと質問しました。
この日も夕方6時までの審議となりました。
★写真は10月30日文化ホールで行われた「素謡・仕舞」 の会の発表会。日本の男子の羽織・袴はカッコいい。
<中国地方類似都市保健師数> 平成23年度
( )内人口H23.9.1現在 太字 保健師数
松江市(207,682) 53
鳥取市(197,391) 43
出雲市(171,523) 33
米子市(150,191) 18
周南市(149,508) 37
岩国市(143,888) 48
三原市(100,250) 29
「しんぶん赤旗」2011年11月5日 >> 首相、消費税10%表明 G20 国民無視の国際公約
野田佳彦首相は3日午後(日本時間同日夜)、フランス・カンヌで始まった20カ国・地域(G20)首脳会議で、「2010年代半ばまでに段階的に消費税率を10%まで引き上げる」との方針を表明しました。これを実現するための関連法案を「2011年度内に提出する」とも強調しました。
10年代半ばまでに段階的に消費税率を10%まで引き上げるとする方針は、6月30日に政府・与党社会保障改革検討本部が決めた「社会保障・税一体改革成案」に盛り込まれたものです。しかし、同成案は、閣議報告にとどまり、閣議決定されていません。10月28日の臨時国会での所信表明演説でも、野田首相は消費税増税には触れていませんでした。>> 記事
決算委員会もいよいよ真っ最中。
今日から部課長質問です。
今日は総務部、人権政策局、企画部の各部課長に、
10月から用意してきた質問をしました。
私は職員の健康診断結果について、小規模修繕工事希望者登録制度など、
6点について質問しました。
市の職員にもメンタル疾患が多く、長期休業者があることは、
昨年の決算委員会でも指摘事項となっており、
早めの発見対策を取る具体的な取り組みはどうかと数名が質問されました。
私は職員はメンタルだけでなく、健康診断の有所見率が高く、
全国では50%台であるのに対し、米子の職員は70%台であることを示し、
行革による定数削減が臨時・非常勤を増やし、正職員の負担を重くし、
長期休業を生む厳しい勤務実態となっているのではないかと質問。
行革定数削減を見直すべきと問いました。
明日「文化の日」をはさんで、次回は4日。
国保、生活保護、介護保険などの、市民生活部、福祉保健部など対する質問をします。
★写真は能登、輪島の「千枚田」、波打ち際まで降りていく小さな田の重なり。年貢米のためにどんなところでも田にしていった江戸時代からのもの。