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 4月10日 陽田町の側溝の整備がやっと終わりました。昨年のような大雨が降っても歩行できない事態にはならないだろう、と地域の皆さんが喜んでおられます。地権者の方の協力があって、米子市を動かすことができました。相当な長さがあります。効果を確かめたいです。ね。
 妻木晩田遺跡のガイド当番でした。新設されたガイダンスには驚きました。体験室がとても広々としています。床面には、写真のように遺跡の分布が一目でわかるようにしてありました。丁度、「ばんだの里」に入所されている方たち、15,6人がおいでになり、私も、車いすを押して館内を案内しました。
 ボランティアをしている人でもこの遺跡が保存運動で残ったことなど知らない人がほとんどですが、今日の当番さんは、どうして残すことができたのか、と興味を持っておられました。当時を知っている私は、「あの頃は、みんな若くて、毎晩のように会を開き、京阪電鉄の社長に直接会ったり、文化庁長官に要請するため東京まで手弁当で行った」と話をしました。住民運動は忘れ去られたような存在ですが、短い期間に町民の過半数の署名を集めるなど当時の自治会が遺跡を残そうと団結したことが大きな力になったのではないでしょうか。私のボランティアを続ける意味はそうした思いからです。

 市内を歩きますと、高齢者の方から生活不安の声をたくさん聞きます。今日は独居の方から、「民生委員でも、包括支援センターでも解決できなかった。」夫が生きていたころには、こんな目には合わなかった。おれおれ詐欺に引っ掛かってしまった。引っ掛かってからは自分にも責任があると思って夜も眠れなかった、身体が震えてどうしようもなかった。かかった人でなければこの思いは分からない。生きていくのが怖いと言っておられます。そのままにしておけないので、何かあったらと私の名刺に大きな字でもう一度書いて渡しました。高齢者が安心して暮らせるように「高齢者の目線に立って支えてほしい」その方の声が耳に残っています。

 

今年になって大金を失ったという人もありました。領収書などなく、お年寄りをだましたり、