2010年8月

月間アーカイブ

まだまだこの暑さ、続くそうです

| 10年8月31日 | 雑記帳

 8月29日、米子、境で気温が37.7度、今年最高ということです。異常な暑さでした。毎日に悲鳴をあげそうですが、友人のお姉さんが食欲が無く、倒れられ、診察を受けたら軽い熱中症で「早期で良かった」といわれたと聞きました。身近に熱中症が起こっています。私は「熱中症」予防のため水分を取りすぎ、寝苦しいために顔が腫れてしまいました。何事も「程に」ということですか、ね。

 8月30日 「上淀廃寺」の整備がどうなっているか、足を延ばしました。雨上がりの丘は涼しくて、草もしっとりとしていました。金堂や二つの塔の跡の周りは、10センチ内外の敷石が敷き詰められていました。基壇の周囲は瓦で囲まれていましたが。今、それは、土で覆われています。ここからは、古代の人と同じ目線で周囲を眺めているという実感が湧いてきます。奈良を想わせるこの自然の価値を大切にしたいものです。

  途中で、大きな二重の虹を見ました。

 今夜は、一月ぶりの夕立のせいか、ガラス戸を閉めて眠れそうです。

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暑さの中、東京に飛びました

| 10年8月23日 | 雑記帳

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 8月19日 急用で上京しました。飛行機に乗る前に「鬼太郎空港」で見たのは、合併で南部町になった法勝寺に伝わる「一式飾り」でした。故郷に降り立った人をきっと優く出迎えてくれたのではないでしょうか。今、こんな下駄を売っている店は田舎にもありません。

 東京では、義兄がなくなりました。1921年生まれ、1940年に徴兵、戦後、私の姉と結婚した兄は満89歳でした。親一人子一人の兄は、遠縁を頼って上京し、挿絵を描いて暮らしをたてようと努力しました。今年の春に完成したエレベーターに20回は乗っただろうということなので私も乗ってみました。狭い階段を回るようにして3階までゆっくりと登りました。「生きよう」と頑張らせたのはこれではないかと思いました。兄は、土、日はできるだけ外出し、息子が仕事を終えて帰ってくると碁を打つのが楽しみでした。 

 私は中学生のころ、姉と一緒に講談社や扶桑社に行って受付の事務員さんに「この画家さん挿絵を書かせていただきたいのです。この絵を見てください、、、」とお願いする姉について歩きましたし、兄や姉と銭湯に行ったことも思い出です。いろんな時代を生き抜いた兄は、今の世の中をどう思っていたのでしょうか。お坊さんは、兄はもうお釈迦さんに導かれて2500年も先を歩んでいるとおっしゃっるので、もう言葉を交わすことはできないのですが、、、、。
 揖屋の「かまぼこ」が大好物でしたがそれを届ける兄はもういません。残された姉が、どうなるかと心配です。

池袋でベトナム料理の「エビカレー」と「黒飯」を食べました。濃厚な味は私好みでしたが、珍しいワイン色のビールはいただけませんでした。

久しぶりに友人を訪ねて

| 10年8月11日 | 雑記帳

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8月9日 一向に涼しくなりません。友人のお宅で、古くから伝わっている家宝の輪島塗を手にとって見せてもらいました。すっかり心を惹かれました。この他に、茶卓、茶櫃も鑑賞しました。昔の人と同じものに触り、見ていることに自分で納得していました。彼女いわく「仕舞ってばかりでは宝の持ち腐れ、これからはどんどん使うわよ!」ですって。私もそう言ってみたいです。

8月10日 今日は、市内の社長さんを訪ねました。私たちが特に親しくしていただいている方です。突然の訪問にもかかわらず、お互いの近況や公会堂の改築のことなど、話が盛り上がった後で、お付き合いして45年間、一度も見学したことのない私たちに、「今日は、工場内を案内する」といって下さったのです。弱電関係ということだけは知っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。都会によくある町工場といえばあたりでしょうか。塵ひとつない工場というのとは違って、いろんな工程を数人のグループで、作るところから箱詰まで、すべて人手でした。だから、注文に応じ作業調整がいくらでもできるし、無駄なものを置く必要がないと言っておられました。コンパクトな会社なのに、大会社へも出荷していると聞きました。その上、障害を持っている人の特性を生かし、製品の検査を10年も続けている、自信に満ちた彼に会うこともできました。給料も、健常者と差がないと聞きました。 今、障害者支援法が、新法をめぐってなかなか難航していますが、普通の人と同じように、雇用に恵まれ、家庭を持つことができる世の中に、と願はずには居られませんでした。社長さんが「障害ある無しと能力は別だ」と言っておられたことに改めて尊敬しなおしました。

猛暑!猛暑!

| 10年8月9日 | 雑記帳

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 8月7日 猛暑の中、妻木晩田遺跡のボランティア当番でした。「米子がいな祭り」のせいでしょうか、来館者は、別天地のような涼しい館内で土器つくりをされる人が多くありました。「米子の宝88選」の本が売店にありました。広報「よなご」にも載っていますが、解りやすく書かれており、各家庭に1冊配られれば、観光で訪れる人に市民が自らの言葉で説明できるのではないかと思いました。
初盆さんを迎えられる親戚にお供えを届けると、江府町からのものだと言って、ブルーベリーを頂きました。早速ジャムを作りました。

 今年も「平和のための戦争展」が開かれています。日中友好協会、平和委員会など貴重なパネルを見ながら、足が止まってしまいました。「もし、私だったら」と思ったからです。会場にはたくさんの平和川柳が並べてあり、気に入ったのを選んでシールを貼るようになっていました。私が選んだのは、「前線にあなたの子ども行かせます?」「「戦争をやって出るのは血と涙」でした。一緒にいた夫は「強弱と貧富なければ平和だな」と「ぐラマンの機銃掃射はこわかった」を選びました。それぞれの作者はどなたでしょうか?

二つの「聖域」にメスを 首相に迫る

| 10年8月5日 | 動画・音声

2010年8月3日 衆院予算委員会で笠井議員が質問
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猛暑の中で

| 10年8月2日 | 雑記帳

DSCN1877 7月31日 桃を生産しておられる淀江の農家を訪ね、3つの種類をご馳走になりました。ですが、あまり違いがわからないのが残念でした。今年は、雨が少ないせいか例年より甘味が増しているそうです。やっぱり、甘いことが問題ですよね。自分でもぎ取ったのを1キロ500円で売ってもおられ、取ったばかりは固いので柔らかくなる2,3日置いてから食べるのがよいそうです。8月6日まで、早めに予定を立ててくださいね。

 議会では、私の属する市民福祉委員会が開かれ、議案の審議や陳情審査を行いました。嬉しかったのは、年金者組合から出されていた「年金の掛け年数を25年から10年へ短縮する陳情」が採択されたことです。自民党、公明党の委員も賛成しましたが、民主党の委員は反対でした。諸外国ではすでに、アメリカ、イギリス、は10年間になっていますし、フランスは3カ月です。社会保障として実効性のある年金へするため、財源について改善するよう求めなければなりません。”採択されてほんとうによかった”です。
 国が、真っ先にやるべきことは、基礎年金に対する国庫負担比率を3分の1から2分に1に引き上げることではないでしょうか。今の暮らしが大変で、将来のことなど考えられないというのが国民の本音です。長すぎて、そして生活できないほどの少ない年金に誰がなけなしのお金を入れるでしょう、掛けた保険料に社会保障として最低生活が維持できる年金にすることこそ政治の責任だと思います。1年に1000億円あれば、最低保障年金が賄えるという調査もされています。40年かけて受け取る国民年金が6万6千円、これを早急に底上げする必要があると思いますが、皆さんはどう思っておられますか。