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大垣住宅の建て替え、淀江地域審議会が市長へ答申

13年7月19日 | 雑記帳

 米子市は、市営住宅長寿命化計画で淀江大垣住宅の用途廃止を決めました。本来なら、合併時の建設計画の変更は、合併特例法にそって、まず地域審議会に答申すべきところ、米子市は地域審議会の重みを考えていないのか、市議会での地元議員の質問でやっと答申を求める行動を起こしました。
 7月18日、大垣住宅の建て替え計画を変更し廃止する新たな住宅計画について、米子市淀江地域審議会の会長と副会長は、米子市長に、「地域審議会で審議を重ねた結果、新市建設計画を尊重し、建て替え計画を推進されたい。」という答申書を手渡しました。また、審議の過程で出された提言・意見を十分に反映するとともに、入居者の意見の尊重に努められたい。としています。 市長は、今後検討する、と答えていました。

 昨年、10月に開かれた地元説明会でも、入居者は「”建て替え説明や希望のアンケートを取った市を信じてきた””この歳になって他へ移っては暮らせない””病気になりそうだ”などなど、台所や水回りの床がギシギシする住宅で我慢してこられました。

 地域審議会では、人が住まなくなれば淀江の街が寂れる。地域の原動力として住宅はなくてはならない。政治は、数字では表せない市営住宅の存在意義を考えるべき。また、市営住宅は福祉として必要という意見などが出ました。

 合併後、9年目を迎えます。福祉社会の実現のために、地域審議会の答申に対し、市がどのような結果を出すのか、地域にとってとても重大問題です。

2012年の最後の日に書きたいこと

13年1月2日 | 雑記帳



今年もあと4時間ほどでお終いです。「大晦日のやな」と大人が話していた子どもの頃が懐かしく思いだされます。私が小学生で兄は中学生でした。高いところを掃除する兄の手元をまぶしく見ていたことが思い出されます。1年に2度の大掃除が恒例になっていました。春は畳を干してパンパンと埃を払い、縁の下に風を通しました。戦後間もないころのことです。 最近は、あまりここまではしませんね。
今年は、東日本の「震災ガレキ」の受け入れを3月に市長が表明したことが大問題でした。市長の言葉を受けて「被災地支援」だからと賛成するの人、放射性物質は内部被爆の危険性があるから拡散してはならないと反対する人とに市民を二分する程の議論となりました。国が最終処分場をもたない自治体には「震災ガレキの広域処理」は求めないという結論を出すまで、一日、一日がとても長かった気がします。青森県、秋田県、山形県、新潟県、栃木県、群馬県、茨城県、埼玉県、東京都、静岡県、富山県、石川県、福井県、三重県、大阪府、福岡県、などで受け入れや受け入れの具体的検討が行われているといわれます。しかし、これでは全国に広げることになるのではないでしょうか。解決とは言えませんね。廃棄物は、拡散させず発生地域で処理するのが原則です。まして放射能物質は、拡散を防止して封じ込めることが大原則であります。今年のニュースとして、受け入れしなくてすんだことが嬉しいし、もし、受け入れるという方針を市長が変えなかったなら、未来のために受け入れを断るまで頑張らねばならないと思います。
写真は、淀江中学校の生徒の文化祭での作品です。淀江町の自慢できるものを人気投票していました。上淀廃寺や妻木晩田遺跡などはありましたが、自然の素晴らしさに気が付いていました。
水道水と湧水の成分分析を発表していました。

運動会は、午後中止されて

12年10月12日 | 雑記帳

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宇田川の運動会はとても家族的です。
大和地区は近年人口が急増しました。

 10月7日 淀江宇田川地区、大和地区の町民運動会がありました。
 私は、午前は、宇田川へしばらくして大和運動公園に走りました。
 宇田川では、小学女生徒が、「私たちは、豊かな自然に囲まれて暮らしています。それから学んだことを発揮したい」と選手宣誓したのです。
 これまでいろいろ聞いてきましたが、福島の原発事故以後、子どもたちの自然や地域についての考えがしっかり成長していると感じました。
 この言葉を聴いて喜こんだのは、私だけではないと思います。
 私は、来賓を代表して、運動会で議員は何時も挨拶をさせていただきますが、会場つくりに携っておりません。
 今日のために、たくさんの方が協力されたことに心から感謝をのべ、、
 この運動会が住民自治の一端を担い、この地域がますます発展し、暮らしやすい地域になりますように
 皆さんが、はつらつとして、笑顔で、けがもなく、天気がもちますようにと結びました。 
 ご婦人方がつくられた「おしる粉」は例年にも増して甘さたっぷりで美味しかったです。
 しかし、願いも空しく、午後は大雨になり、中止となりました。

 

 夕べは、コンベンションセンターのアクアスロン皆生大会の前夜祭に出席しました。
 NHK「きらっと生きる」の玉木幸則さんが、「やればできるさ yes,yuu can」と題して1時間ばかり話されました。
 彼が、これから目指すのは、障害がある人もない人も、みんなが精一杯生きられる世の中、
 障害のある人が特別扱いでなく、自然に地域の中で暮らせつようバリアフリーを進めることであると強調されました。
 僕がテレビに出たり、こうしてお話しすることが不要になる時代になってほしい!。
 障害者施策の在り方の根本を問いかける彼の言葉に、議会でいろいろ議案審議に関わる者としていい勉強をさせていただきました。

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淀江小学校で秋季運動会

12年10月1日 | 雑記帳

9月29日
台風の接近を気にしながら、元気な生徒さん達を応援しました.
しなやかな身体でストレッチ体操、今年入学した1年生が80メートルを精一杯走る姿に大きな拍手が送られました。
保護者や淀江作業所の皆さんが綿菓子やたこ焼きの行列に忙しく接客しておられました。
全生徒を赤、白、黄色の絆にたとえて、応援合戦がありました。私は、全体から受けた印象で白組に高得点を入れました。
昨年は、黄組が総合優勝したのだそうです。

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淀江小学校前の県道に草が茫々と生え、見えないから空き缶や食べ残した弁当ガラなどが捨てられていて、水の流れに影響すると近所の方が心配されていました。
米子市を通じ、県の整備課への対応を求めたところ、早速、すっきりと清掃されました。ポイ捨てなどを許さず、快適な生活環境を守るため、皆さんの率直な声をお待ちしています。

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九月議会の最終日でした

12年9月29日 | 雑記帳

9月28日
日中はまだ汗ばむほどですが、朝晩はすっかり涼しくなりました。衣服の調節が難しい時期ですね。
九月議会の最終日を迎え、会期中に出された議案、陳情、補正予算について委員会での質疑や論議を終えて採決をとりました。

ガレキの受け入れはしないでほしいという陳情が、6月議会で継続になっていました。九月議会ではそれを多数で否決してしまいました。私たちは、陳情に賛成しました。
世界中が注目し、日本も心配な尖閣諸島、竹島など領土問題で、「蒼生会」からの意見書が可決される。私たちは緊張をいっそう高めるものであると意見書に反対しました。
北朝鮮の拉致の早期救出を求める意見書については、「六カ国協議」、「日朝間の宣言」を加筆することを求めて賛成しました。全会一致で可決されました。

補正予算では、流通団業務団地内に計画されている「学校給食センター」の地質調査費が上程されました。長年、待ちに待った中学校給食が2015年度から実施されることは大変喜ばしいのですが、今、4つの小学校で行っている「自校方式」を廃止して、給食センターから運ぶことが前提の予算です。大型センターでつくる給食は、建設費が高くつく。子どもたちが食べるまでに時間がかかる。つくりての顔が見えないなど「食育」を困難にします。 市の職員も、「食育」には、自校方式の方がセンター方式より勝っていると認めています。
全国でも「自校方式」に戻した自治体や検討中のところも出てきています。
効率や、経済性ではなく、子どものために一番いい給食を、という思いから、「大型センターの建設」に反対の立場で、補正予算に反対しました。
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秋風に揺れていたコスモス

一面に咲いている蕎麦の花 

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淀江の新発見!

12年9月25日 | 雑記帳

9月24日 午前中は行財政改革特別委員会に参加しました。
米子市の中期財政見込み(平成22年から26年の5年間)について当局から説明を受け、議論しました。
いろいろな指標をもって説明されても、専門家でない市民の代表もよくわかりません。もっとわかりやすくと求めました。

普通交付税についても、国が税収が落ち込む中で地方自治体に配布する交付税が不足し、
それを借金(国債)を発行しているのが現状です。自治体にも半分借金させています。臨時財政対策債。
これは、米子市がおこなった公共事業のための借金ではありません。
米子市の中期財政計画に、そうした市債までいっしょくたにして説明を受けると
実際のこととして、とてもわかりずらいのです。

午後は、建設水道委員会を傍聴しました。
何と、米子市にかかっている主な橋が124本、その内、使い始めてから、
安久橋が38年、今津橋が79年、宇田川橋が48年、淀江大橋が82年経っています。日野橋の84年に次いで2番目に古いことがわかりました。
これまで、多くの人々がこの橋を行き来したんだなー、当時はどんな町だったのだろう。
20年前までは酒屋、米屋、雑貨屋、薬屋、写真屋、魚屋、小間物、下駄屋、駄菓子屋、豆腐屋と通りが全部店屋でした。
それが、今では数軒になって寂れてしまいました。
私の住む地域は、字名を駄倉といいます。淀江の中心から少し離れており、荷物を運ぶ馬や、大山博労座で競に賭ける牛などを世話したところではないでしょうか。

何気なく淀江大橋を渡っていましたが、今では昔と違って、車など重量級が行き来しており、またスピードがあります。
今から、修繕計画を実行に移す日が待たれます。
いっそう、「淀江音頭」の淀江大橋がいとおしく大切に思われました。

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秋は薔薇ですね

淀江中学校の運動会でした

12年9月9日 | 雑記帳

9月 8日 心配された天気でしたので、午後の競技も午前中に組み込んで行われました。

傘踊りは、淀江の民謡に合わせて浴衣で踊ります。運動場が大変華やかになります。

日も差してきて、50%の雨という予報が外れました。

最初にストレッチ体操、つぎつぎ、綱引き、ムカデ、大きな縄とび、リレー、組立体操などを終えて11時に早めのお昼としました。

PTA会長さんが、「勝つことばかり考えないで、負けたら、今度こそというきもちで」と生徒たちに激励されました。私も、議会質問が気になりながら、一生懸命、声援を送りました.

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因幡の白ウサギ

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