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12月13日 荒れる前だからでしょうか、今日は陽が照り、気持ちのよい一日でした。
午前中は、行財政改革調査特別委員会に出席しました。合併後の5年間と今後の5年間、計10年間の実質収支など当局の説明を受けました。また、来年の4月から、生活保護の調査に時間がかかっている現状打開のため1つの係を作ることが示されました。
私は、調査とは、何を指すのか、今、受付から、保護の決定に1月近くかかる場合があるが、その決定が速くなるのか、また、保護受給者の支援が充実するのかと尋ね、ケースワーカーの増員こそ必要ではないかと提案しましたが、人数は定数に足りているという答弁でした。

先日の10日、(土)、ボランティアガイドの県外研修に行ってきました。四国方面、淡路島の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡です。研修は3年ぶりです。いつも議会の準備であたふたとしていましたが、都合をつけて参加しました。カメラを忘れてしまって、様子をお見せできないのが残念です。遺跡は、妻木晩田と同じ、弥生時代後期のものです。23棟の竪穴住居の内12棟が鉄器の鍛冶工房という珍しい遺跡です。10メートルの円形のごっさ鉄器工房では、実際に麻袋のふいごでタン・トンと鉄を加工しておられました。いささかガスには参りました。平成19年、20年で発掘されました。この遺跡を残し、活用しようと地域の皆さんは遺跡が発掘された元の場所にきれいな花をぎっしりと植えておられました。自然の中に遺跡が息づいているようでした。

昨日、中国電力と原発の安全協定を結ぶのかどうか、米子市議会全員協議会が開かれました。
議長は、採決ではないが参考までに、皆さんの意向を知りたいといって、賛成の挙手を求めました。
結果は、新聞の予測通り、協定に多数が賛成しました。反対者は共産党の3名と他4名。
討論した私は、「3月11日までは、原発事故について警笛を発した学者の意見は、原発利益共同体とマスコミによって国民には一切知らされてこなかった。福島原発事故で、初めて、原発を廃炉にしなければ安心して住めないことが分かった。10年、20年後に、あの時の市議会は、どうして、止められるのに止めなかったのかと、問われる。廃炉を求める強い意志で協定には向かうべき、急いで協定を結ぶべきでない」と意見をのべました。

今日は、遺跡の研修に行ったガイドの伯耆町の松本さんから、初めて便りをいただきました。
手づくり新聞に投稿された「福島第1原発事故に思う」を読ませていただきました。
フィンランドでは、自国の核廃棄物の最終処分場の建設が始まり、2020年には完成させるとしている。地下430mに10万年から20万年の間保存するという計画だそうだす。
松本さんは、絶対安全・安心という原発推進派には、原発は東京の都心や大阪の南港等に建設し、核のゴミは国会議事堂の地下深く埋めることを提案したい。と結んでおられます。

昨日は、立ち止まって原発依存を見直す重い1日でした。事前了解や立ち入り検査もない協定に賛成することは結果として、中国電力に、島根原発の再稼働を許すことにつながります。