2012年5月

月間アーカイブ

メーデーの集会に参加して

| 12年5月4日 | 雑記帳

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5月1日 午後5時30分、米子市文化ホール前の広場に集合しました。色鮮やかな旗が風に翻りました。
年金者組合の立林 央士さんが議長の挨拶をされました。彼の優しい語りは、いつもながらほっこりとします。

実行委員長の高教組の森さんは、挨拶の中で、旧国鉄職員の一人が雪のため、事故が起きてはならないと勤務時間より早く出勤し、線路を除雪し、夕方、4時ごろ家で風呂に入った。定刻より数時間も早く出勤し、勤務時間より長く働いた職員をどうして守らなかったのか、 一人はみんなのために、みんなは一人のために、そうした組合がこれからますます必要になってくる。頑張ろうと発言されました。 今でも、私の胸に響いています。

5月3日 今日は憲法記念日と淀江の日吉神社の春祭りでした。米子では、金光教の春の大祭がありました。
生憎の雨で、「よいとまかせ」神事は中止とか。私の町内では、毎晩、笛や太鼓の練習をして家からでも音色が聴かれましたのに、出番を失った子どもたちや指導者はさぞがっかりだったことでしょう。

午後1時半から鳥取大学の中村英樹先生の憲法学習会が文化ホールでありました。
憲法9条を改正して集団的自衛権を可能にすべきか、など難しい話を優しく、これからもぜひ聴きたいと思いました。

先生が鳥取市の9条の会に寄せられたメッセージ、ぜひ、ここに載せたいと思います。
「戦争絶滅受合法案」、これは、20世紀初めにデンマークの陸軍大佐フリッツ・ホルムという人が考案したものだそうです。
戦争が開始されたら、十時間以内に、次の順序で最前線に一兵卒として送り込まれる。第一、国家元首。第二、その男性親族。第三、総理大臣、国務大臣、各省の次官。第四、国会議員、ただし戦争に反対した議員は除く。第五、戦争に反対しなかった宗教界の指導者。これに財界指導者も加えるとより良いかもしれません。ホルム大佐は戯れで考えたようなのですが、しかし、この法案は、戦争というものの本質を鮮やかに浮かび上がらせていると思います。つまり、自分は死なないと思うからこそ、戦争を始められる。 私たちが、憲法9条や国の安全保障について考えるときには、「戦争が始まれば真っ先に死ぬ可能性のある当事者」として考える必要があるでしょう。「国」が提供する美談に酔って、自ら命を捧げるようなことがあってはならないことです。その意味で「国」すなわち実際の権力行使者の手足を縛り、安全保障に関する危険な選択肢をあらかじめ排除しておくという憲法9条の果たす役割は、これから先も当分失われることはないと思います。日本をはじめ各国で、「戦争絶滅受合法案」が成立するまで。というメッセージ、 皆さんのいろいろな考えをお聞かせください。

玉の浦という椿です。

一人はみんなのために、みんなは一人のために、

山菜の香りがたまりません

| 12年5月1日 | 雑記帳

4月30日
昨日に続いて晩田山に行きました。
今日は、高島忠平先生の記念講演「妻木晩田と吉野ヶ里」を聴くためです。先生は、1931年生まれで、妻木晩田遺跡の活用と吉野ヶ里遺跡の活用基本計画にも佐原真先生と関わっておられるそうです。

先生は、吉野ヶ里遺跡は、魏志の倭人伝にあるような、環壕・半円形の壕の張り出しと建物・高殿等の跡、鉄製の武器などが、まとまって発見された。吉野ヶ里を邪馬台国とは、一概に決められない。吉野ヶ里遺跡の周りには、弥生時代の遺跡が数多く分布している。吉野ヶ里の大規模環濠集落跡は、「弥生都市」ともいうべきと考えていると述べられました。
妻木晩田遺跡は、平地にあった集落が、弥生時代中期後半に妻木晩田丘陵の一角に立地するようになり、それが次第に丘陵全体に広がり、有力層の墓地造営も行われ、集落となっていった過程を示す継続的集落跡である。古墳時代にも継続し、そうした集落を形成した一族の盛衰をも見て取れる遺跡でもあると、話されました。

銅矛(どうほこ)について、弥生時代前期後半、中期初めに墳墓の副葬品として北部九州で見られた。中期後半に祭器化する。複数一括して地中に埋納された状況で出土する。海中から発見されたものもあり航海や漁労に関して、海神が依り付くまたは犠牲として用いられた祭器と考えられる。

そういえば、島根県の荒神谷の数の多さに驚きましたが、祭器として、そうかもしれない、とうなずけました。
佐賀県、有明海の周辺にも、鳥取県琴浦町の久蔵峰からも出土しているそうです。遠く離れた地域なのに、どうしてこんなに似たものを作ったのか映像で見て不思議でしたが、海流にのっての交流が行われていたと説明され、納得しました。

稲作は、朝鮮半島経由と南方から日本に伝わったと考えられる。稲の遺伝子を調べると、南方の焼畑農法の遺伝子を持っているので、2つの遺伝子が強い稲を作ることに成功したのではないか、と先生。当時の海上交易の危険を思わずにはいられません。

九州の宇木汲田遺跡で発掘されたヒスイは、糸魚川から原石を掘り、山陰で加工されたのではないか。と玉造を思い浮かべました。快い話で、二時間があっという間でした。

遺跡の活用については、①学術的価値を知ること、②謎に迫ろうという市民の関心、③発掘を体感しながら新たな見方をすることが大事と話されました。

DSCN2718 ヒスイ細工

DSCN2721 山ウド

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