雑記帳
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5月19日
今日の運動会は、予想外の冷たい風と雨の中でした。生徒さんは先生の指示に従って雨が激しくなると体育館に避難したりして、とうとう最後まで行なわれました。低学年の1、2年生にとってはさぞ、大変だったことでしょう。私は中断かなとさえ思いました。校長先生も判断に苦慮されたことでしょう。写真は、白組の応援合戦です。元気な声を張り上げていましたが体操服が濡れてとてもかわいそうでした。
淀江町、高井谷の「真名井」で山野草展がありました。知人に誘われ行ってきました。幾鉢もの可憐な山野草が丹精こめ仕上げられていました。写真は昔懐かしい絣の衣類が竿に干してあり、その側には、子どものブランコや水車もあります。知人が歌を詠み壁に張り出しておられましたが、即興の歌が何ともいえず心に沁みわたりました。
こんな思い付きが出来る人、いいだろうなあーと思いましたが、野草の手入れなど忙しく、睡眠時間は3時間ぐらいとのことでした。とても大変。
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5月14日(日)
福平地区の田んぼでは、水かきをして田植えの準備が行なわれていました。耕運機が静かな谷あいで音を立てて活躍していました。周囲は緑が濃くて空気が美味しい気持ちがしました。
あたり一面の田んぼが水をたたえて、もうじき蛙の合唱が始まることでしょう。天気が良くて仕事ははかどりますが、水不足にならないかと素人の私は心配です。
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5月12日(午後1時半から3時まで)
文化ホールで開かれました。参加された町民の方の中には記念講演をされた吹野さんの同期生の方たちの姿も見受けました。吹野博志さんは第10期の卒業生で実家は淀江町西原10区の中学校前でした。DELコンピューターの要職を終え、今は、吹野コンサルティングという会社をつくり、東京永田町で活躍中です。記念講演の演題は「私達のゆめ~世界を歩いて思うこと~」でした。1、2ヵ月に1度ぐらい世界の国々を回られ、貧富の差など国民の暮らしにも目を向けたスライドを見せながら話をされました。先輩として世界の情勢を聞くなんて初めてのことですからきっと新鮮な感動を与えたことでしょう。 大切な話でしたのでいつまでも忘れないでいて欲しいと思います。
今後の日本の進むべき道については、近い将来、経済力がアメリカを抜いて世界一になると言われている中国をはじめ、ブリック(ブラジル、ロシア、インド、中国、)を世界地図で示し、中国、朝鮮半島、日本がアジアで密接な関係を維持していく、国際協力をしていくことが大切と結ばれました。初めて吹野氏の講演を聞きましたが戦争ではなく平和が大切と中学生に訴えられた点がとてもよかったです。
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5月11日
爽やかなさつき晴れの午後、革新懇と憲法改正反対西部連絡会が署名と街頭での訴えをしました。9,10,11の3日間、連続で今日の参加者は15名でした。
「憲法改悪のための国民投票法はいらない 」「政府の目指す改憲は、アメリカと一緒になって戦争すること」、と訴えました。
サティに買い物にこられた人や下校時の高校生が次々と署名してくれました。国会では、仁比聡平参議院議員が法案の問題について質疑されてはいますが、今日、明日でどうなるかわかりません。時宜を得た統一行動でした。
まず、この法案の危険な中身を知ってもらい、法案が例え通ってしまっても、全国民の力で実施出来ないように頑張らねばならないと思います。
私は、戦中の貧しく不安だったあの頃のことが頭をよぎります。今の若い人には想像出来ないいことが起こります。電気もつけられず、砂糖なんてありませんでした。そして、防火訓練などは半分強制でした。常に、近所の人の目を気にした、いやな時代でした。子や孫にそんな時代を引き継がせたくありません。今、自由に生きられるのも憲法が戦争に歯止めを掛け、私達を守っているのだと思います。
平和を守りたいと心底思います。明るく、微笑んで立ち去った高校生、彼らの時代が平和でありますように。
4月29日 中海テレビが市民と議員とで「新米子市」の現状や今後の課題についての討論会を企画しました。
たとえ、自主財源の乏しい自治体であっても交付税で、住民の暮しを支えてきましたが、国が財政悪化を理由に交付税の率や対象などを削減したため、扶助費など自治体負担は増えつづけました。淀江町は、これ以上交付税が削減されたらやっていけない、町長の「止む終えない」論で旧米子市と合併をしました。
それまで、合併することを考えず、淀江町は下水道も文化ホールも完備し、間もなく町営住宅の建替えを計画していました。また、住民には役場職員の目の行き届いたきめ細かなサービスが努力されてきましたが、合併によって大きな規模の米子市に合わされ、福祉や子育てがやりにくくなったなど、今でも住民の間に不満が吹き上がっています。
最初から、合併の期日を定め、合併特例債をちらつかせての合併でした。住民の間から合併したいの声が上がったものでもなく、合併するかしないかを主人公である住民の意思を問うてもいません。しかし、もう今更、後には戻れません。
私達は、今後の米子市に向けて、どう対処していくのか。それは合併前のそれぞれの良いところを全市に広げ、住み良い新市を皆でつくって行くことではないでしょうか。そのために、ムダを削るためにどうしていくのか、何がムダなのか、どうすれば税金が市民の暮らしのためにより良く使われるのか、皆さんと「市民と共に新米子市討論会 第2段」が待たれます。
純白のチュウーリップを見ました。
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4月27日 午前10時から、新婦人の月例会が日吉津の喫茶「ハーモニー」で開かれました。2人欠席で8名の参加でした。
会員の1人が、主人と農業をしており、田植えの準備などで、これから出席しにくい、と打ち明け、「出れる時だけでよいから、。会いたい。」など皆が口々に言いました。出来あがった「明るい米子」を開きながら、共通の話題で心を繋ぐことが出来ないか、彼女の次回の参加を願うような気持で3月議会の報告をしました。
午後は学校給食運営委員会を傍聴しました。平成19年度の食材費は次の通りになります。小学校の一食食材費は262円、中学校309円と決まりました。昨年と同額です。米子市内で毎日1万食をつくっています。
老朽化した給食センターは、大谷町、日通跡に建設を予定しています。わかっているのは、用地取得に2億5千万円、建物の設計に970万円、設備の設計に900万円を掛け、建設費、設備機械などの経費がその上にかかります。
念願である中学校給食を、今回の改築にあわせ、何故行なわないのか、不思議でなりません。この機会を逃せば、中学校給食の実現がますます不可能になるように思えてなりません。
市役所の駐車場横 白い、アメリカハナミズキが満開でした。