雑記帳

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工事が中盤にさしかかりました

07年11月27日 | 雑記帳

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 11月26日 白浜市営住宅の改築工事が2ヵ所ですすめられていました。来年4月の入居に備え急ピッチで進められています。左は、2階建て部分の工事で、鉄筋コンクリート、もう一方は、大勢の大工さんが柱を立てておられました。県内産の木材を使用すると聞いています。槌音の響きがしてとても活気づいていました。
 一時は本当に建つのかと半分諦めもありました。この日を待たずに病に倒れ、亡くなった人もあります。「本当はあなたも入れたのよ」と、その方にこの光景を見せて上げたい思いがしました。
 高齢化が進み、昔の賑やかさは戻らないかもしれませんが、住み慣れた土地で心地よい暮らしができますように。

 燃えるような楓、米子市役所の玄関です。日に日に美しさが増しています。かさこそと落ち葉が靴に戯れます。

 来月3日より12月議会が始まります。今議会は、決算審査が行なわれます。執行されたものが本当に市民のために使われたのか、来年度予算に反映させなければならない点などを決算審査委員会で求めます。
 永い間、日記をお休みして心配をおかけしましたが、私は毎日、元気に通っています。

はるばると志位和夫委員長来る

07年11月5日 | 雑記帳

DSCN0909.JPG  11月4日 
 ”鳥取 赤旗まつり” 時折、陽が射す程度の曇り空の下で開かれました。志位 和夫委員長は、国民の暮らしと平和について、判りやすく話されました。国会で説明された、あのグラフを指して、企業は何倍もの利益を得ているのに、税金は横ばい状態だ、これを正すこと。5兆円の軍事費にメスを入れれば国民の社会保障は守れる。
 後期高齢者医療制度や障害者自立支援制度の改悪も国民の反対が強く、一時凍結するといっているが、いずれ溶けてきます、などと笑わせながら説明してくださいました。
 生活保護については、母子家庭の児童扶養手当の制限や、老年加算の廃止など国民いじめのひどさについて、これを元に戻すためにも今度の選挙で日本共産党を伸ばしてくださいと熱弁されました。

 志位 和夫委員長の特別講演が終わって、間もなく、会場の一角から、民主党の小沢党首が辞任するというニュースが飛び込み、鳥取運動公園から全国に放送される記者会見が開かれた、劇的な場面もありました。政治が動いていることを実感しました。

 国民の願いに応える政治に切り変える、日本共産党の力を大きくしなければと思いを強くしました。

何よりも憲法を守ろう!

07年11月4日 | 雑記帳

DSCN0899.JPG 11月3日
 今日は、1日でテロ特別措置法が期限切れになlり、海上自衛隊がインド洋から撤退しつつある憲法交付記念日です。
 今年の憲法講演会は、島根大学、法文学部準教授、植松 健一先生のお話でした。 安倍政権は自滅しましたが、福田政権もテロ特別措置法を継続し、自衛隊の海外派兵を進めようとしている、一時も油断ができない。マスコミが福田・小沢両党首の連立などといっているが、参議院選挙で訴えたことを守らせるような国民運動が必要。国際憲章にも勝っている憲法を守る大切さを学びました。
 名古屋で2007年3月に、9条違反の国に対する平和的生存権侵害の判決がありましたが、長沼訴訟第一審判以降の、最も平和的生存権に踏み込んだ判決であったと紹介されました。平和的生存権とは武力行使をしない日本で平穏に生活する権利であり戦争に参加しない・殺さない権利という位置づけです。

 明日、11月4日(日)は、日本共産党党首 志位和夫委員長を迎えて ”鳥取県赤旗まつり” が鳥取市、布勢運動公園で開かれます。今少し前に 声かけをしていた淀江町内の人から参加できると電話がありました。忙しい!忙しい!といっていた人なのに、ご主人と揃って参加されます。早く、出会いたい気持ちです。素敵な決起集会になりそう。
 志位委員長の話を聞き、みんな元気が出ますように。天候に恵まれますように。祈るばかりです。

一日も早く中海を元の姿に

07年10月30日 | 雑記帳

DSCN0898.JPG 10月29日 雨模様の空を気にしながら、鳥取へと向かいました。生憎、知事は北東アジアの会議に出席のため面会ができず、青木企画部長と意見交換をしました。鳥取県は中海の環境改善については、住民会議と共通認識であると述べられました。
 要望書は、まず、現在進められている水門撤去、西部承水路提の取り壊し、森山堤防開削の前、後によるモニタリングを十分に行い、その結果によっては島根県および水質改善協議会への働きかけを求める。2つ、干拓のための浚渫窪地埋め戻し原状回復を国に求めること。3つ、大橋川の拡幅と弓浜地域の治水について、主体的な取り組みを求める。4つ、中海の原状回復による再生事業は、土地改良事業をすすめた国の責任で行なうことなどを 「美しい中海を守る住民会議」 が新体制となった鳥取県に要望しました。

 こんな会をもっと早く開くべきだった

07年10月28日 | 雑記帳

s_DSCN0825.JPG 10月27日 米子市小中学校PTA連合会主催の教育懇談会に参加しました。 参加者、約100人が7つのグループに分かれて討議しました。テーマの1つは、学校環境の現状と対策について、2つは、学校給食の民営化についてでした。
 生徒の昼間の安全のため、校舎及び体育館の耐震対策を求める声に対して、教育委員会は、これまでは防災安全課が対応してきたが、これからは庶務課で対応したい、未実施校の耐震調査については、来年度には完了させたいとも答えていました。    
 PTAからは、市にお金がないことは知っているが、要求が何時実現できるのか、全く予測が立たない。ここ4、5年どういうことを行なったのか知りたい。これに対して教育委員会は、旧米子市の時から出されているのに未だにできていないものもあり、学校の順番についても財政が悪くて説明できないとも。
 校長先生からは、床がうぐいすのように鳴いているが、あと5年は持つのではないか、1つしてもらったら、緊急事態が起きた時、対応してもらわないと困るので、今は我慢している、と心を痛める発言がありました。 
 緊急性のものとして、新1年生が増えて6クラスになるが、教室はどうなるのか。
 要望の多かったものとしては、トイレの水洗化、古く腐食した鉄支柱の修繕、校舎や体育館の外壁の
 修繕、水道管の敷設替え、グランドの水捌け改良などがありました。また、1校でしたが、障害児受け
 入れにバリアフリー化がされていないため、教師が生徒をおんぶして移動させているのだそうです。
 現場との話し合いが早急に必要と思いました。

 学校給食の調理の民営化については、「これまでと変わらないということなので」と教育委員会の説明に、安心しておられる様子で、情報の足りなさを残念に思いました。
 市財政の逼迫はなぜ起きたのかをはっきり認識しないまま、そのツケを子供たちに負わせることはならないと思います。1万食でも作るとか、食中毒を出したことがない企業だから安心だとか、生徒においしい給食を出す企業にといった説明を聞きましたが、 民間企業は利益をあげることが一番という宿命を背負わされています。全国では、調理員の雇用と仕事内容が、委託業と派遣業との区別ができないという労働局の指摘をうけて、直営に戻したところや、計画を撤退したところもあります。
 学校給食は、将来の米子市を担う「人づくりの教育の一環」です。給食の一番大事な調理を民間にまかせるということは、給食のありかたそのものを根本から変えることです。
 今日集まられた人々をはじめ、多くの市民のみなさんともっともっと論議したうえで決めるべきでした。
 校長先生が、「調理師の方が転勤される際には、着任式、離任式を先生と同じようにしました。いつも生徒は先生として接していました。調理室でもいろいろ見学させてもらってきました。こんなことがこれからも変らないのでしょうか、」 私は、この言葉が忘れられません。
  実施されたとしても、より良い給食を子供たちに、この立場で、市民の皆さんと力を合わせてまいります。

 朝晩、寒くなりましたが、今でも咲いています。

高層マンション問題で市民と調査

07年10月25日 | 雑記帳

 10月22日 建築指導課へ出かけました。 昨年末より、道笑町に14階建ての高層マンションの建設が進んでいます。大規模な基礎工事のために、地域住民は、電波障害をはじめとして、要介護者など、体感異常を訴えておられます。民家からの距離も少なく、住民の不満の声が上がっています。
 建物の申請確認がこれまでは市の仕事でしたが、法律が変り民間でもできるようになりました。
 14階高層マンションの建築について、何という業者が請けたのか。どの会社が認定したのか。などを情報公開条例で求めることになりました。
 全国的に、不正が起きており、すぐ行動を起こす必要があります。 

 午後は、4人もの逮捕者を出した広域管理行政組合に要請行動をしました。ごみ施設修理費の予定価格を職員が業者に知らせたことが、現在調査中です。西部地区議員団は事件の原因を究明し、公表すること。この最悪な事態をばねに、一層、健全で透明な運営に努めること。9市町村の住民負担を今以上増えないようにと要望しました。

二人で訪ねた仙谷遺跡

07年10月25日 | 雑記帳

DSCN0889.JPGDSCN0885.JPG  10月20日、妻木晩田遺跡案内のボランティアの日でした。天気は上々で、孝霊山は澄んだ空気の中に美しく映えていました。予定の時間を過ぎてもお客さんから案内の依頼がなく、 私達、女性二人は、久しぶりに仙谷遺跡まで行ってみようと歩き出しました。同行の女性は、「大山登山が大好き」というだけあって、度々私を振り返っては大丈夫かと気使ってくれました。およそ1.5kmを汗をかきながら黙々と歩きました。仙谷遺跡へは道路は整備されていません。たどり着くと埋め戻された場所が小山となって、2号、3号、5号であることが判りました。こんな高い所まで、どうして墓石を運んだのか、多くの人の苦労が偲ばれました。ここからの日本海の眺めは最高でした。
 妻木地区では、三軒の竪穴住居が時代を異にして重なって発掘され、そのまま展示している覆屋を見学しました。管理保存状態が良くて、安心しました。あたりには、 萩の花などが咲いていました。
 鳥取県は、妻木山地区に弥生のムラを作る計画を進めています。すでに住居や掘建柱建物のあった土地の上に大量の土を運び工事を始めていました。県民の暮らしが大変な今、しなければならないのでしょうか。以前の片山知事は、「かに博物館計画」を縮小しました。当時の県民から信頼を得たと記憶しています。高齢者や障害者、子供たちへの予算が足りない中、なぜこうした予算が通るのか、通すのか、納得できません。これは、市町村でも同じですが。
 これからの遺跡整備は、集客のために建物をつくることではなく、森を復元し、来訪者が散策できる遊歩道さえ整備すれば、費用も少なく、健康的で良いのにと思います。ゴルフ場のような芝生ではなくて。

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