雑記帳
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7月30、31日
広島で母親大会が開かれました。
いのちを生み出す母親は
いのちを育て
いのちを守ることをのぞみます
淀江町から5人、鳥取県からは約100人、全国から8,500人が参加しました。
30日は、湯浅 誠さんの記念講演 「貧困なくし 人間らしく生きられる社会をつくる」を聞きました。
湯浅 誠さんは、90年代よりホームレス支援にたずさわっておられ、「ネットカフェ難民」問題を数年前から指摘したり、
「年越し派遣村」の村長さんも務められた若くて颯爽、といったお人でした。
交歓会で、これだけは忘れてはならないと思ったことがあります。
それは、福島から4歳と9歳のお子さん連れで参加されたお母さんの言葉です。
「子供たちの寝顔を見ながら、この子たちを守ってやれるのだろうか、」と
今なお続く、原発からの放射能漏れの不安な声でした。
新聞は原発反対が7割を占めたと報じていますが
だからといって何もしないで待っていては
廃止はされません。
エネルギー白書によれば、電力の供給能力は、2億2千8百万kwでそのうち、原子力が4千9百万kw、
原子力以外が1億7千9百万kwと報告されています。
過去最大の電気使用量を見ると、2007年8月の使用量が最大で1億7千9百万kwでした。
原発なしでもやっていけるということではないでしょうか。
原発を決定的に廃止するためには、原発推進の議員を国会に送らない、
来る衆議院選挙で、国民の判断が大切だと思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか。
当面、私たちにできることは原発ゼロを目指す署名活動ではないでしょうか。
原発がこの世からなくならないと
安心して子供を守れない、生きられない、そう思いませんか。
31日は分科会でした。いろいろつ迷った挙句、
山家悠紀夫さんの「日本を良くするために必要なことは?」に決めました。
ころが、会場に辿り着いてみると、すでに満席で受付できないといわれました。
でも、これが聞きたくて来ているのですから、椅子を入れてほしいと頼みましたが出来ないということで
薄い紙を敷いての聴講となりました。弁当は地下の売店のベンチで食べました。
山家先生は、新聞によく登場されるので、ぜひお会いしたい。やっぱり期待通りの先生でした。
会場がこんな状況に、先生は驚き、それも影響してか、特に易しく解説されました。
早速、「暮らしに思いを馳せる経済学」を買ってサインしていただきました。
例年、送り出す側でしたが初めて参加、長女にも会えて、じっくり話をすることもできました。
66年前に原爆の被害を受けた広島で原発の被害がいまだに広がっているもとで
第57回母親大会に淀江の皆さんと元気に参加でき、本当に意義深いものを感じました。
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7月26日 雨が上がり、本格的な夏になりました。
淀江小学校のプールでは、オレンジ色の帽子を被り
キャッ、キャッ、と弾んだ声が聞こえています。
法勝寺町に続き、元町サンロードのアーケードの撤去が進められています。
あと少し、田口の種屋からモナミまで、もうすぐ終わります。
大型店の進出で人出がさっぱりになってからは、
アーケードは、歩行者にとって、一種の恐怖さえ感じさせていました。
撤去が終わった法勝寺町は、空間に七夕の笹を飾るなど
これまで出来なかった飾りに精を出そうとする地域の努力を見ました。
淀江支所のバリアフリーが完成しました。
障害者専用の駐車場から、車椅子での移動ができるようにという
ささやかな老人会からの要望がやっと実現しました。
来庁される方の不便がいくらか解消できるのではないでしょうか。
利用者の感想をお聞きたいものです。
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7月18日 中山、大山口、淀江の平和行進の一行がお昼に淀江中央公民館に到着。
新日本婦人の会の会員さんの手料理で労いました。
神奈川県の横浜から、富山県の福井からの行進者をはじめ、県内の団体や個人が盛りたてて
世界平和、核兵器廃絶を訴え、私も大山町の安原から一緒に歩きました。
青田を吹き抜ける風は涼しく、のどかな田舎道を心弾ませて行進しました。
今年は、毎年参加していた先輩が、身体の調子で参加できなくなり、
特別な想いで迎えた平和行進でした。
先輩達は、歓迎の言葉にも、毎年のことながら心がこもっていました。
新たな方が、ぼた餅を作って遠くから参加してくださいました。
政党に関係なく、安心して子供を産み育てられ、平和な暮らしを願う婦人が集まっている新日本婦人の会。
核兵器廃絶、原発撤廃の両方の声を大きくし、子や孫を悲しませないために
世論が政治を変えるまで、つづくであろう平和行進。
その1歩だと思って歩きました。
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7月15日 第2回米子市学校給食運営委員会を傍聴しました。
公募の委員さん2人とも、知り合いでしたので、嬉しかったです。
尚徳小学校横にある共同調理場は、平成20年から東洋食品が2,300食を作っています。
調理員15名(責任者1名、副責任者1名、フルタイム調理員4名、パートタイム調理員9名)。
残念ながらサバの生姜焼きをガラス越しに見ただけで、全体の作業を見ることはかないませんでした。
調理員が色とりどりのエプロンをつけていました。下処理の人は水色、魚や肉など生ものを扱う人は赤など。
30度近い現場で、サバをトレーに並べ焼き機の中に入れる、単調な作業で大変だろうと思いました。
異物混入を防ぐために、使用手袋も含め、機器の使用前、後の点検を徹底していると説明がありました。
今日は、米飯、牛乳、なすの味噌汁、田舎和え、サバの生姜焼きでした。
成実、箕蚊屋、伯仙小学校、箕蚊屋中学校、県立米子養護学校に届けられています。
米子市は、これから中学校給食の本格的な検討に入ります。
よりよい給食を願って傍聴しました。
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7月1日 私とは10歳年上の戦争体験者が亡くなられました。
私が、終戦の時、小学校2年生でしたから、その方は、中国大陸で中学生の時です。
数回、お会いしただけですが、ゆっくりとしたもの言い、静かそのもののお人柄でした。
奥さんから、記念にとその方が、昨年出版された「関東州」という本を頂きました。
「関東州」が中国の何処にあるのか知らないで、一気に読みました。
私の全く知り得ない、外地での戦争体験でした。
「これだけは言い残したい」、、、「これで安心」と永い眠りにつかれたのではないでしょうか。
新聞に、来春から使われる「中学校歴史教科書」について在日大韓民国民団鳥取県の代表が
自由社版と育鵬社版の教科書は「在日の生徒には劣等感を与え、日本の生徒には偏見を植え付けかねない」と
不採択を求める要望書を米子市教育長に提出とありました。
正しい歴史認識に基ずく歴史教科書が求められるのは当然です。
憲法が国の基本です。
戦争を知らない世代が、二度と、外国に銃口を向けるようなことがないように、
その思いを深くした、一日でした。
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