雑記帳

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秋風にコスモスが揺れています

10年10月6日 | 雑記帳

 10月5日 今日は、「ふれあいの里」で先輩とコーヒーを飲みながら打ち合わせをしました。検査部ピアクラブ総会の会場係にあたっているからです。それにしても、今年になって、早、2人の先輩がこの世から旅立たれました。私とそれほど年の違いがないのに、スーッと魔法にかかったみたいです。去年の10月には、来年もきっと会うのだからと軽く別れたのに、とても信じられません。明日の命のことはわからないものなのですねえ。 残った私たち、《元気で集まろう!!》 そして年のことは忘れちゃいましょう。

 コスモスの花弁がゆらゆらと踊っていました。
 秋の夕暮れ、遠くには「すすし」が立てかけてありました。

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天気予報が大当たり

10年10月4日 | 雑記帳

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 10月3日 今朝は、旗火で目が覚めました。旧宇田川小の運動場には、すでに気合いの入った人達の姿がありました。皆さん雨の降らないうちに競技を、という思いがひしひしと感じられました。私は、「ご挨拶を」と声を掛けていただきましたので、早いことが一番と思って「地響きがする感動を味わいに参りました。全部の競技が終わるまで雨が降らないことを祈ります。」と簡単な挨拶をしました。続いて大和運動公園です。綱引きの最中でしたが、若い人が大勢おられることを実感しました。昨夜の雨で、地面が程良くしめり、綱引き、持久走、などなど、私たち、応援する方にとっても快適でした。

 午後は、日吉津で母親大会に参加しました。講演には出られませんでしたが、「私たちの暮らしと安保条約」の分科会に参加しました。
 09年度の中小企業の予算は、1890億円でした。企業数が約420万あるので1企業に対し4万5千円の税金が使われていることになります。一方、米軍兵士の予算は2879億円でした。兵士1人あたりに811万円もの思いやり予算を出しています。日本の企業の内、99.7%が中小企業で、働く労働者の69.4%がそこで働いているのだそうです。こんなことが国民に知らされていないのが問題です。「思いやる相手が違うと思いませんか?」と多くの人に知らせ、共に声を上げて行かなければと思いました。

 天気予報が当たりました。午後4時ごろから雷と激しい雨に見舞われました。

宇田川の田圃道で曼球沙華の花が咲いていました。

 

 

雨の匂いがするせいか、早め早めを

秋の行事にてんてこ舞い

10年10月3日 | 雑記帳

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 10月2日 神無月になりました。これまでの暑さが忘れたように朝晩は秋の気配が一段と深まりました。小波バス停の畑一面に植えられた”ひまわり”が、この季節に珍しく盛りを迎えていました。バス通勤の私に、いつも背を向けているひまわりをどうしても見たいものと、今日は、自転車で行ってきました。近所の人が、「風の出る前まではきれいでしたよ、今、ちょっと過ぎましたがね。」と言いながら通り過ぎて行きました。

 明日、3日は宇田川、大和と二地区で運動会が開かれることになっています。今夜、雨の降る音が屋根を伝わって聞こえていますが、止むでし
ょうか。

 秋は、行事が重なって毎日曜日忙しいです。鳥取県母親大会も、明日、日吉津村で開かれます。夫に運転してもらい掛け持ちで参加します。私たちの暮らしにとって米軍基地は必要かという講演もあります。母親が変われば社会が変わる、平和、子育て、医療、教育、年金、など分科会も予定されています。

 先日、米子市議会、市民福祉委員会でのことです。所得税法56条の廃止を求める陳情審査がありました。白色申告では、妻、息子、娘など親族の労働を正当な給与として認めない、この差別税法の撤廃を求めるものです。労働を税金控除として妻は86万円、その他は50万円を控除するだけになっています。57条では、青色申告者には、給与としてそれ以上を給与として認めています。
 私は、白色も青色も帳簿付けなどに違いがないこと、もともと税金は自己申告で白色が基本、56条は撤廃すべきと意見を述べました。
採決は、女性議員3名は陳情に賛成、男性議員4名の反対で否決されました。米子市は、男女共同参画推進計画を平成15年につくって、女性の人権の確保など掲げています。”男性の付属物のように扱う差別税制”に対してなぜ、男性議員は国に意見を言わないのでしょうか。
 これでは、女性議員が5分5分まで増えないと社会を変えることができないのではないか!と思いました。
皆さん、ともに頑張りましょうね。

激しい雨が降りました

10年9月24日 | 雑記帳

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9月23日 彼岸の中日は、激しい雨で明けました。お塚参りをどうしようかと思うほどでしたが昼前には上がってくれました。
昨日の一般質問で、反省しきりです。間違いないと思い込んでいたことが実は調査漏れで、失敗してしまいました。くよくよしても始まらず、台所に立って、川かに飯や、おはぎ、大根煮〆を作って気分転換しました。秋大根は、少し苦みがありました。これも味の内でしょうか。地元産の人参が思いのほか硬くて期待外れでした。今、煙草の収穫が終わり、これからが人参の種まきです。せっせとスプリンクラーが回っています。

久し振りに通勤バスで一緒だった方に出会いました。60歳を過ぎると仕事がないと嘆いておられました。

長月の夜を質問の準備に追われていました

10年9月21日 | 雑記帳

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9月20日 15日日から始まった9月定例議会。やっと一般質問の準備が整いました。日頃、地域の皆さんからお聞きしてきたことを、質問しようと思います。3連休でしたが、なかなか進みませんでした。毎回この苦しみを味わっています。国保問題で、随分手間取りました。。

今回は、国保の改善(保険料引き下げ、資格証の発行をやめよ、子育て支援室大和の充実を求めて、高齢者の暮らしと仕事についてシルバー人材センターへ市の仕事を回せという中身です。
永らく休んだ日記帳に弁解のようなことをまた書いています。
ところで、毎日暑いですね。近所にオリーブが実りました。青く澄んだ空に柳に似た枝振りは地中海地方のような気分です。
この頃、いろいろな苦労を抱えながら、みんなが必死に生きている、つくづくそう思います。

まだまだこの暑さ、続くそうです

10年8月31日 | 雑記帳

 8月29日、米子、境で気温が37.7度、今年最高ということです。異常な暑さでした。毎日に悲鳴をあげそうですが、友人のお姉さんが食欲が無く、倒れられ、診察を受けたら軽い熱中症で「早期で良かった」といわれたと聞きました。身近に熱中症が起こっています。私は「熱中症」予防のため水分を取りすぎ、寝苦しいために顔が腫れてしまいました。何事も「程に」ということですか、ね。

 8月30日 「上淀廃寺」の整備がどうなっているか、足を延ばしました。雨上がりの丘は涼しくて、草もしっとりとしていました。金堂や二つの塔の跡の周りは、10センチ内外の敷石が敷き詰められていました。基壇の周囲は瓦で囲まれていましたが。今、それは、土で覆われています。ここからは、古代の人と同じ目線で周囲を眺めているという実感が湧いてきます。奈良を想わせるこの自然の価値を大切にしたいものです。

  途中で、大きな二重の虹を見ました。

 今夜は、一月ぶりの夕立のせいか、ガラス戸を閉めて眠れそうです。

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暑さの中、東京に飛びました

10年8月23日 | 雑記帳

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 8月19日 急用で上京しました。飛行機に乗る前に「鬼太郎空港」で見たのは、合併で南部町になった法勝寺に伝わる「一式飾り」でした。故郷に降り立った人をきっと優く出迎えてくれたのではないでしょうか。今、こんな下駄を売っている店は田舎にもありません。

 東京では、義兄がなくなりました。1921年生まれ、1940年に徴兵、戦後、私の姉と結婚した兄は満89歳でした。親一人子一人の兄は、遠縁を頼って上京し、挿絵を描いて暮らしをたてようと努力しました。今年の春に完成したエレベーターに20回は乗っただろうということなので私も乗ってみました。狭い階段を回るようにして3階までゆっくりと登りました。「生きよう」と頑張らせたのはこれではないかと思いました。兄は、土、日はできるだけ外出し、息子が仕事を終えて帰ってくると碁を打つのが楽しみでした。 

 私は中学生のころ、姉と一緒に講談社や扶桑社に行って受付の事務員さんに「この画家さん挿絵を書かせていただきたいのです。この絵を見てください、、、」とお願いする姉について歩きましたし、兄や姉と銭湯に行ったことも思い出です。いろんな時代を生き抜いた兄は、今の世の中をどう思っていたのでしょうか。お坊さんは、兄はもうお釈迦さんに導かれて2500年も先を歩んでいるとおっしゃっるので、もう言葉を交わすことはできないのですが、、、、。
 揖屋の「かまぼこ」が大好物でしたがそれを届ける兄はもういません。残された姉が、どうなるかと心配です。

池袋でベトナム料理の「エビカレー」と「黒飯」を食べました。濃厚な味は私好みでしたが、珍しいワイン色のビールはいただけませんでした。

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