雑記帳
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3月27日 午後2時から米子文化ホールで井上 哲士 参議院議員・国会対策委員長の話を聞きました。特に私を驚かせたのは、普天間基地のことでした。他の基地とは全く性質が異なることを初めて知りました。他の基地は自衛隊と供用ですが、この基地は米軍が占領してつくった基地であることです。なぜ、それが今でも残っているのか不思議です。ここから飛び立つ軍隊は骨まで溶かす兵器を持ち、イラクなどへ出かけていく最も危険な軍隊であることを知りました。軍隊といったらすべて同じものと思い込んでいましたが、特に普天間基地は国内の何処にも移転させられません。沖縄県民の声が結集するのは当然だ、県民を応援しなければならないと強く思いました。
天気も穏やかで、これから京都へ向かわれるところ、厚かましくもポーズをお願いしました。
私も2人の市議に交じって決意を述べました。皆さんのご支援をお願いしまーす。
3月19日 淀江小学校の卒業式がありました。天気を心配していましたが、ぽかぽかの陽気にめぐまれたので「いいですねー今日は。」と口々に挨拶を交わしました。卒業生は、男子35名、女子38名、合計73名と近年にない少人数でした。 今から12年前から出生数は少なくなっているということで、対策をとらない国の責任は重大です。町の将来を託すのは、子供しかありません。結婚して子供を産みたい人がないのではなく、子育てしにくい社会だから、この結果になっている、このことを国に上げて、子育てのための社会保障費を増やすよう財源の根本から正していく必要があるのではないでしょうか。政府の「こども手当」も一つですが、財源については、特別扶養控除を止めるなどは絶対に許せません。皆さんとともに政治を前に変えるためにがんばります。
家の杏が風に吹かれて散り始めました。今年、実がつくかと不安です。
シランネりという花だそうです。
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日に日に暖かくなってきましたが、いつまで続くことかとハラハラです。バスからのぞいてみると日野川にかかった橋の工事が初めて覆いを外され全容が見渡せるようになりました。日野橋の東西の交差点とも、右折待ちの車が並ぶことが多く、直進する車の流れが悪くなっています。そのため事故も多発いるということでした。今回、右折レーンと歩道を広げる工事が行われています。歩道が1.5メートルから2.5メートルに広がります。
バスに乗りながら、こんな話を聞きました。若い人が就職難で年金で養っているとか大阪で働いていた息子がリストラされ仕送りしている。仕事がきつい、労働法がおかしい、休憩も35分しかない。などなど今の政治に怒りが充満しています。
日中、デイサービスの車が多くて、邪魔なほど走っている。若い人が親の年金で養ってもらっているが、親が死んだ後はどうすることだろう。親も年金は減らされ保険料は天引きされ、おかしな世の中だ。など話が深刻でした。
「こんな世の中、続けさせてはいけませんよね。 政治を財界や金持ちが支配しない世の中にしないといけませんね。というところで停留所につきました。
またお会いしたい”人”でした。
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2月13日、米子駅のエレベーター・エスカレーター建設工事の安全祈願祭がとりおこなわれました。勝田神社の佐々木宮司様でした。テント内で行われた式でしたがとても穏やかな1日でした。工事は列車の来ない夜間に行われます。現場で働かれる方はさぞ大変、どうか事故など起きませんように、とお願いしました。来年の春に完成します。バリヤフリー化によって駅周辺が活気に満ちてくることを願いますが自家用車が一軒に一台以上普及し、通勤に一人ひとりが乗っている時代です。バリヤフリー化しても駅を利用する人はそれほど望めないかもしれませんね。若い時は運転したけれど高齢になったので免許を返した人、障がいのある方、大きな荷物の旅行者には喜んでいただけることでしょう。米子駅の次には「淀江駅」の階段を解消をしてほしいという声があります。米子駅が解消できても淀江駅が解消できなければ電車に乗れないのですから。階段のある駅すべてがバリヤフリーにならなければ出かけられないということですね。
私が通勤していたころは、どの列車も満員で淀江から米子まで立ち通しでした。すし詰めなので立ったまま眠ることもよくありました。ブローチなど落ちても拾えないほどぎゅーぎゅう詰めでした。結婚してまだ子供が小さい頃のことです。 その娘も母親になって中学3年生の子どもがいます。週末には受験だそうです。赤旗「日曜版」に消しゴムを2個持たせることとありました。教えてやりたいけど、どうしたらよいでしょうか?
2月17日、大山の雪が一時消えていましたが、昨夜積ったのでしょう。雪衣でした。
公民館で「ひな祭り」を歌って今、帰りました。
2月7日 「米子生活と健康を守る会」の新年会に招かれました。錦織陽子県議、石橋佳枝市議と参加しました。
昨年、この新年会に参加されていた方が亡くなり、「守る会」でささやかな「お別れ会」を開いたと聞きました。私は、その方の人生はどうだったろうか、ふと映画「おとうと」が浮かびました。特別な技能を持たない人にとっては若い人でさえ仕事がない中で働き口がない、希望を失い無念のままに亡くなったのではないかと思いました。
いろいろな事情を抱え、生活保護を受けておられる人が多く会員になっておられますが、支援のボランティアの方たちも会員です。生存権を保障する憲法ですが、国の保護基準が低すぎるので基準を引き上げてほしいと発言がありました。また、日本では、生活保護基準の2割の人しか保護を受けておられない、イギリスでは8割の方が受けているといいます。
錦織陽子さんは、「愛 燦々と」を、石橋さんは、「小樽運河」を披露されました。私は吉永小百合を真似て「下町の太陽」を歌いましたがリズムが外れてしまいました。
空が晴れ渡って大山がくっきりと見えました。
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1月30日 睦月も明日で終わります。今夜の満月は大きく見えると聞きましたので、外に出てみました。ガスが覆っているためか朧月でしたが、皆さんはご覧になりましたでしょうか。私は、月を見ると何とはなしに静かな気持になって昔のことを思い出します。中でも、優しくしてくれた兄を病気で失い、何処を見るともなく見上げた空にこぼれおちそうな星と煌々と照らす月が目に入りました。あの光景は一生忘れられません。
明日は境港市議会議員の選挙告示日です。定岡、松尾のご両人が激戦を勝ち抜いて、住民の期待に応えられるよう、応援しなければと思います。どんな時にも弱い者の立場に立ってがんばる共産党を訴え抜いてがんばりましょう。
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1月25日
昨日行われた、琴浦町町議会に立候補した日本共産党の現職、青亀としひろ、石賀さかえの現職の2人が当選を果たしました。私は、石賀候補が81歳という高齢にもかかわらず、「若い者に負けない。どんなことにもひるまない」と冷たい風が吹き荒れる赤碕の街を訴えておられるのを聞きながら何としても当選をしてほしい、と願っていました。さっそく、お祝いに欲しいといっておられた「本」を贈ります。
沖縄の名護市長選挙は、基地の賛否を問う日本中を沸かせた選挙でした。、住民の基地移転反対の声が勝利しました。「道理は必ず、何時かは通る!」この思いをたくさんの方がされ、安心して今夜は床につかれたのではないでしょうか。私も、もちろん深く眠りました。
日米軍事同盟を基軸にする新政権に対し、はっきり民意を示した選挙でした。それにつけても、米子の飛行場は、米軍基地に決定されているといってもまだ、住民の関心は薄いのですが、沖縄のように住民を犠牲にする基地化にははっきりと反対を意志表示しなければならないと思います。米軍軍事基地が2倍になっている原因は、これまで続いた自公政権が米軍への思いやり予算に国民の税金を使ったからではないでしょうか。平和と基地は共存できませんね。